うらあやか(アーティスト)
こんにちは、うらあやかです。パフォーマンスのようなことなどしている、アーティストです。
私がオンゴーイングに関わるようになる前、オンゴーイングは10歳くらい年上の作家のコミュニティーという印象で、正直近寄りがたいなーと感じていました。年上のアーティストの溜まり場は怖いです。夜な夜なクダを巻いているんだろうと思っていました。が、実際その通りでした。そして今は怖いというよりも、そこへいかに切り込むか(いつも失敗してますが)という気持ちでそこに居合わせています。
ガチガチに緊張していた私が今も継続してかかわることができているのは、空気を回す「サーキュレーター」のような人が珍獣だらけのあの中にいるからだと思う。集団の中へ入っていくとき、よく知っている人がいないとか、話すタイミングを獲得できなかったりすると、私のようなそれなりの人見知りにとってはなんとも落ち着かなく悔しい思いをしてしまうことがままあるが、自分から開いていけばその状況は獲得することができる。むしろ、そうすることでしか自分を存在させることはできないという場面もあるだろうとすら思う。しかしながら、このオンゴーイングでクダを巻く面々はみなさん自分の話をすごくするんですね。だから、慣れ親しんだ仲でも一生懸命喋らないと喋れなくなってしまう。しかも声量というわけではなく、あれは「しゃべり」を競っているような雰囲気だ。その濃厚な空気は、門外漢には居づらくもなりやすい。オーディエンスに徹する道もなくはないが、ずっとそうしているわけにもいくまい。かくいう私が3年前そう感じ萎縮しているとき、環境を立ち上げ、空気を回してくれるような「サーキュレーター」のような人がその中にいて、私はそのおかげで居づらさを苦にせずそこにいられるようになった、ということがあった。別のしかたでその場を楽しむその技術に私はいたく感激し、作品にも少なからず影響している。
2017年の6月に、オンゴーイングと香港のアーティストコレクティブ「soundpocket」との交換レジデンスで香港へ1ヵ月滞在した。天安門事件関連の展示やデモ、また香港自体がイギリスからの返還20周年という、政治的なイヴェント状態にあり賛成と反対、民衆と警察、そして中国と香港という二項対立的な捉え方が目につき、香港に住む人が自分たちをChaineseではなくHongkonese(ホンコニーズ)と呼ぶのにとても驚いた。展示では、括弧付きの「ポリティカル・アート」が多くてかなりびっくりしてしまって、風刺のように一方的なメッセージみたいなそんな美術は私は嫌だなと思った。それに尽きるわけではないけれど、何しろ「ポリティカル」な表現が多く辟易としてしまった。私は二項の境界をぼかすようなイメージでディスカッションのワークショップと、社交ダンスのレッスンをする参加型のパフォーマンス作品を発表してきたのだが、その後オンゴーイングで行った報告会では試しに「そこに座っている子は次どこそこで展示をします」とか「彼はどこそこのスタッフでそれ以外にもこんな事をしていて」というふうに居合わせた人全員を知っている限り紹介をしてみた。焼き餃子といろんな種類のお茶をみんなで飲み食いしながらの会だった。
「サーキュレーター」のようなある種裏方的な振る舞いかたや居合わせる人との関わり方を意識するようにすると、作品のことだけ自分のことだけで詰まっているときよりも緩やかに面白くいろいろ楽しめそうだから、そんな感じで緩やかにもっと協働していきたい。コレクティブを立ち上げたのもそういう理由からだったのかもと、やっと理解が追いついてきました。ね、小川さん、みなさん、あなたも、そうだよね。だから、頑張ろうね。そんなかんじ、ライクザット。希望でいっぱいの途中です。空気を回すぞ〜。さてさて、次は何しようかな。