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泥酔してばかりだが、
懲りずに泥酔していきたい

村田峰起(アーティスト)

私は大学を出てすぐに縁もゆかりもない西国分寺に共同アトリエを構えた。
陶芸作家のゆりっぺと絵描きのサラちゃんと3人で。
ゆりっぺの友人の多さとサラちゃんの美貌でアトリエはほぼパーティー会場となっていた。
4畳半の狭い部屋に10~15人で毎週末のように酒とともに美術や恋愛について話していた。あの頃は可愛い子たちが集まるとちょっと話題になっていた。あの狭い部屋に10人程で寝ていたのが懐かしい。そして汚かった。
大学の学祭で展示をしていた作品をみてとても気になり声をかけた。
ベニヤ板で思い出の風景を作っていた。それが井出っち(井出賢嗣)。
街灯のつくりに当時の自分が淡く衝撃を受けたのを覚えている。
ゆりっぺとも仲良しだったこともあってあの汚いパーティー会場の常連になっていった。
彼とは主に恋愛のことを話していた。
そんな彼が面白い公募展があると話をもってきた。応募者がプレゼンテーションをして他のプレゼンテーションを審査するというものだったかと。私はパフォーマンスアーティストなのでパフォーマンスを行う準備をした。
すべてを井出っちから口頭で聞いたため、朝、東大で待ち合わせをすることになった。
そして待ち合わせの場所に井出は来ず、でも連絡はとれなかった。
私は一人東大内をさまよっていた。
これが私のオンゴーイングとの出会いだ(この時はまだ出会っていないが)。
余談だが、神奈川県民ホールに塩田千春展を見に行った時のことだ。
作品を見ながらさまよっていると大学の後輩(伊佐治〈雄悟〉の同級生)でその学年でも一、二を争うほどの美人が目の前に来た。ひとこと目に「好きです!」。春が来た。一瞬の高揚感の後、「作品が」と言われとても残念な気持ちになった。
さまよっていい思い出がない。
2008年アートセンターオンゴーイングが吉祥寺に出来た。井出っちのつながりの元、そこに集まる猛者共と代表の小川くんと親交を深めていった。展示される作品はどこか挑戦的で危険な匂いがした。
花見が大好きだ。桜があるというだけで皆が集まり、つまみやご飯、お酒が揃って楽しい話で朝から晩までわいわい騒ぐ。泥酔してほとんどのことは忘れてしまう。
そんな花見で一度だけ忘れられないことが起きた。
その日も朝から飲んでいた。一度記憶を失って、また飲みだして夕方になると中央線の奥地から、和田昌宏が来た。いつものように私は周りからいじられて泥酔していた。
遠くから和田ちゃんに「ムラッチョ結婚しないの?」と言われ「するする」と即座に答えた。
隣で飲んでいた彼女がいなくなり振り返ると少し離れたところで実家に電話していた。母に「村田さんと結婚するから」と瞬時に伝えていた。和田ちゃんのスルーパスで彼女はゴールを決めた。すごい速さだった。
私のプロポーズは多分「するする」。最悪だ。かるい。
2011年入籍した。
昨年11月私の住む前橋で首くくり栲象、山川冬樹、村田峰紀でパフォーマンスイベント『間人』を企画した。その4年前に小川君の依頼で個展をした。私自身を血(流れるもの)、骨(芯にあるもの)、肉(憧れ、上につくもの)と3週に分けて、『人間』という展示を行った。肉の週で小川君に頼んで山川冬樹さんを呼んでもらい最高のパフォーマンスをした。
もともと親交のあった栲象さんも見に来ており今度は3人で行いましょうとお二人に伝え昨年実現した。
このイベントに合わせてオンゴーイングコレクティブで映像祭を行った。私はイベントリハーサルのため1秒も見れなかったが、栲象さん山川さんも誘って打ち上げのみ参加した。30人ほどのアーティストが集まって仲良く話している姿をみて、山川さんが「こんなことってあるの?」と、アーティスト同士の仲の良さに驚いていた。私はいつもオンゴーイングで泥酔していたのでとても普通のことだと思っていたが特別な集まりだと気付いた。
宴会の場で乾杯を頼まれいつものように「いっくぞー、かんぱーーーい」と音頭をとった。
この音頭はパフォーマンスイベントにも活用され、掛け声のもと宙吊りパフォーマンスを行った。
二日酔い気味の小川君がパフォーマンスをみて「泣いて笑った」と最高の言葉をくれた。
振り返ってみると私の中で重要なポイントをオンゴーイングの仲間と過ごしていることに気付いた。そして泥酔してばかりだが、懲りずに泥酔していきたいと思う。