Art Center Ongoing

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ブレイン・シンフォニー

地主麻衣子 個展

2020.11.18 [水] - 2020.11.29 [日]
12:00-21:00 定休:月、火 入場料:¥400(お菓子付き)
主催:Art Center Ongoing

『ブレイン・シンフォニー』は、わたし自身の個人的な体験として、また社会における集団的な体験としての「記憶の儚さ」について考えることから出発して制作された映像詩です。
わたしはこのところ忘れっぽくなってきて、人の名前や固有名詞が出てこないことがよくあります。何かを思い出すことができないとき、自分と一体であったはずの自分の脳が急にアクセス不能なものとして、異物感をもって立ち現れます。そして、それがこの先さらに自分の制御の及ばないものになっていく可能性を直感し、恐怖を感じます。そのようなとき、自分の頭から脳を取り出して点検し、また頭に戻せたらいいのにと思うことがあります。

何かを思い出せないということは、そこにあるはずの情報を読み出せないと言い換えることができるかもしれません。映像を制作している自分にとって、その状態は、これまでつくってきた作品を保存しているハードディスクが壊れて作品を失ってしまうことを連想させます。または実家に眠っている、もう使われなくなったVHSやフロッピーなどの記録メディアを思い起こします。そこにはデータが格納されていますが、それを適切に読み込む機械を持たない限り、それは地面に転がる石のようにただそこにある物体となり、情報にアクセスすることはできません。

記憶と記録。

鳥取県で発掘された弥生人の頭蓋骨の中に、奇跡的に脳が残っていたそうです。研究者はそれを解析し、弥生人が見た風景を映像に再現することを夢想しました。しかし今の技術ではそれは不可能だったため、弥生人の脳は未来に向けて厳重に保管されています。

別の視点。常に揺れ動き、改変され、薄れて消えていくことについて。移動し続ける砂丘の砂。それを吹き飛ばす風。風によって電力を発生させる風力発電所。わたしたちが使っている電気。わたしたちの脳内で情報を伝達している電気信号。電気刺激によって脳の機能を高めようとする人たち。データを記録するメディアの進化。砂丘にできる風紋の波形と電気の波形の類似。エトセトラ。

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この展覧会はホスピテイル ・プロジェクトでのレジデンスプログラムによって制作され、現在も鳥取市の旧横田医院にて開催中の同名の展覧会『ブレイン・シンフォニー』をArt Center Ongoingの空間に構成し直したものです。
作品内の造形物の制作において高石晃さん、写真作品の撮影において田中良子さん、音楽と録音においてやぶくみこさんにコラボレーションをお願いしました。
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展示風景
撮影:飯川雄大

<会期中イベント>

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11月21日(土)19:00〜
「オンゴーイング・スタジオ 2020/11/21」
Pre Ongoing School
作家本人による展示作品の解説を交えてのレクチャーを、インターネットで配信します。
https://youtu.be/j8BwH7E_xwU

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11月26日(木)19:00〜
くちびるから散弾銃 第二話
「最近おしゃべりもなかなか難しい」
どうしたの麻衣子?おしゃべりが難しいなんてあなたらしくないじゃない。近頃よく聞くアイデンティティ疲れ?とりあえずハーブティーでも飲んで愚痴ってみてよ!
ゲスト:百瀬文(アーティスト)
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地主麻衣子と百瀬文による、おしゃべりとおしゃれ心をくすぐる探求のセッションをオンライン配信いたします。

地主さんが初めてOngoingに顔を出したのは、おそらく彼女がまだ多摩美の大学院生のころだったと思う。今から12年も前の話。当時、彼女はイラストのようなドローイングやら物語のような詩を書いていて、オリジナルの音源に乗せてそうした詩の朗読なんかもやっていた。僕は彼女のヘンテコなドローイングと独特の詩の響きに興味をもちOngoingの二人展に誘ったのだった。
僕としては、言葉と絵を用いて表現する若手作家という枠で声をかけたつもりだったのだけど、そんなおじさんの期待にはお構いなく、地主さんが発表したのは斬新な映像表現だった。それもかなり難解というか、なんじゃこれというもの。僕は度肝を抜かれ、「やばい新人が現れた」と、Ongoingに顔を出す古株の作家たちに嬉々として紹介していたのをよく覚えている。
聞けばその作品が地主さんにとって初めての映像作品だったらしく(それもまたびっくりなのだが)、Ongoingに出入りする多くの作家たちと「この作品は一体なんなのだろう」とその解釈をめぐって話をしたのだった。これがきっかけで、Ongoingでは幾度となく彼女に展示をお願いすることになるのだが、思えば、彼女の作品はいつも無数の解釈を呼び起こす。「あれはこういった事なのでは」とか「わたしにはこう見えた」と作品の意味が観る人によって変わっていくのだ。それも本当にバラバラに。地主さんの作品自体、もちろんいつも楽しみなのだけど、その千差万別のオーディエンスの勝手な地主作品解説を聞くのも大変興味深かったりもする。
彼女の作品の解釈がそれだけ多様になるのは、その作品世界が詩的なイメージによって形作られているからなのかもしれない。論理的な構成というより、もっと軽やかな感じで、観るものによって様々な解釈を生みだす余白を与えてくれるのだ。コンセプトゴリゴリの答えの定まった退屈な作品とは真逆の、その佇まいはとてもとても魅力的である。
それともうひとつ、これも勝手な持論なのだけど、地主さんの生まれ持った「声」も自由な解釈を生む要因の一つであると思うのだ。本人と面識がなくても、作品に自ら出演したり、自身でナレーションを入れることも少なくないから、地主さんの作品を知る人ならば、彼女の「声」を聞いたことがあるのではないだろうか。高すぎず低すぎず、優しくスローなトーンのあの「声」。それが彼女の詩的な作品世界にスーッと入っていくのに一躍買っている気がしてならない。作品を見終わった後に、「それで、どう思った?」とあの「声」に静かに尋ねられている気がして、ついついいろいろ言いたくなってしまうのである。
ところで、彼女自身が詩的言語を日常生活でつぶやくような不思議な人かといえば、それはその真逆で、かなり論理的で社会的、ものすごく真っ当な人物であって信頼にも厚い。僕がプライベートでいろいろあって、やさぐれていた時代も、彼女にいろいろと諭された思い出も少なくない。勉強家で努力家、知識豊富で英語も不自由なく使いこなし、最近ではNYやオランダにレジデンス作家として招聘されるなど、その活躍は目覚しい。彼女が大学院生でOngoingに顔を出した時代を今あらためて振り返ると、人間って10年ぐらいでこれほどまでに変わるのだなと驚いてしまう。そして彼女に対する信頼が尊敬にさえ変わってきている自分に気づき、少し笑える。きっとこれから地主さんは、もっともっと凄い作家になっていくのだろう。けれど、あの「声」だけは変わらないといいなと、未来を勝手に夢想してみるのだった。
小川希(Art Center Ongoing)

地主麻衣子

1984年神奈川県生まれのアーティスト。多摩美術大学大学院絵画専攻修了。ヤン・ファン・エイク・アカデミーのレジデンスプログラムなどに参加。映像、インスタレーション、パフォーマンス、テキストなどを総合的に組み合わせて作品を […]