山野慎吾(アートキュレーター)
1979年、私は父から借金をして福岡市内にIAF芸術研究室という小さなスペースを開いた。その時私はこの場所を教室として運営することで、ある程度資金を作りながら、同時に若い人たちが集まる場所にしようと考えていた。しかし、この作戦の半分は外れて、教室からの収入はその後10年以上、人件費どころか家賃にも満たない低収入が続くことになる。夜ごと、教室が終わる9時頃になると若いアーティストや学生たちがぞろぞろと集まり始めて、教室はそのまま飲み会の場所になった。そのうちふとんや寝袋を持ち込む者も現れた。現代美術に目覚めた学生たちは大学では居心地が悪く、芋づる式に人数が増えていった。ただ酒を飲んでいただけではなく、もちろん議論をし、展覧会の計画を相談する場所でもあった。あるアーティストの提案で毎週勉強会を開くことになった。福岡市美術館の学芸員に来てもらって、2年間、ミニマルアートとコンセプチュアルアートの勉強をした。ときたま、学芸員氏は美術手帖で見たことがある東京や関西のアーティストを連れて来た。少し時間は飛ぶが、やがてアジアのアーティストが出入りするようになった。
福岡はとても狭かったので、外からやって来た人も含め、誰でもすぐに顔なじみになった。もう一度福岡的な特徴を整理すれば、誰も金を持っていないという平等、地方都市特有の距離の近さ、それでも外部との交流は割と盛んであり、特にアジアとの交流は福岡において次第に重要な意味を持つようになった。
縮めて書いたので不正確な部分はあるが、これが今の私を作った、ということが出来る。
ところで、このようなやり方は地方都市に特有の手法であり、まだ紙と固定電話と人間の移動で情報交換が行なわれていた時代の話である。
しかし今の東京でこの時代錯誤をやってみたらどうなるのかということから、私の話はArt Center Ongoingへとつながる。それは今の東京になぜOngoingがあるのか、ということでもある。いうまでもなく、Ongoingは小川希君の構想力から生まれたものだ。福岡の出来事とOngoingの共通性はそれらがどちらも小さくて、しかも大きかったことにある。小さいとはそこで形成されたアートコミュニティーの小さな規模のことであり、大きいとは彼らがアプローチしようとした世界の大きさのことである。都市型のコミュニティーが偶然性と流動性を含んだ複数のコミュニティーの集合であり、輪郭を持たない世界であるなら、その中の小さな部分を占めるにすぎないアートコミュニティーのひとつが、都市にアプローチするために、また状況に左右されない自由を確保するために、明確な輪郭線を持った拠点として構想されたのがOngoingであったと思う。私の言う地方都市的とは、野心的な構想力と、あまりたいしたことのない経済力を元手に、アートに関わるすべてを成し遂げようと、ひとりの若いオーガナイザーが何かを思いついてしまう、という意味だ。このような行動に及ぶためには現状に対する強い拒否感がなければならないし、そして求心的で共有可能なテーマがなければならない。その結果、彼らのアートコミュニティーは親密で、相互扶助的な関係として形成されていく一方、オーガナイザーはディレクターへと転身し、Ongoingに関わるものすべてを何らかの成長の過程に巻き込むために、ありとあらゆる手段を使って輪郭のない世界と交渉し、その成果をOngoingへ持ち帰るようになる(ときには自己犠牲をはらみながら、と付け加えてもいいけどね、小川君)。
この試みが優れた若いアーティストを輩出する上で大いに役立ったことは、今さら言うまでもない。またいずれ彼らの仕事が「Ongoing的な」と呼ばれるような共通性を示すかどうかの判断も、今は他の人にお任せしたい。
ここで特に言及しておきたいのは、小川君あるいはOngoingによる近年のアジアとの出会いと共感が、Ongoingの中だけの話ではなく、今後もっと広い範囲に影響を与えるような意味を持つかもしれない、ということだ。もともと小川君とOngoingのあり方はアジアのアーティストグループの活動スタイルとの間に強い親和性を持っているとは思っていたが(自営自立的な、あるいは地方都市的な、と言ってもいいが)、先日のあの「行き当たりばったり」にしか見えないアジア紀行が、結局見事なネットワークの中の出来事でもあることは象徴的で、それはアジアの同時代の仲間と共通するテーマを訪ねあてる旅でもあったのだ。小川君が足で稼いだリサーチの本当の成果はこれから各方面で現れて来るだろう。アジアのアーティストと彼らが新しい時代の交流の形を生み出すことを期待している。
Ongoingという物語はいずれ拡散したように見えるときがあるかもしれない。しかしそれはOngoingがなくなるという意味ではなく、世界の変化とともに、輪郭のない世界を映す鏡としてのOngoingは、時々その姿を変えたように見えて、いつもながらの、あのOngoingという輪郭は残している、ということだ。
ところでIAF芸術研究室はその後IAF SHOPと名前を変え、バーを併設したギャラリー兼ライブスペースとして2017年現在、まだ同じ場所で活動している。
案外なくなったりしない。