和田昌宏(アーティスト)
確かに色々あったよ、この10年?いやもっとだよね。16、7年とかだよね、場所を持つ前からトータルで言うとさ。月並みだけど、それってその時生まれた子供が高3とかになるぐらいだからすごいよね。こういう過ぎ去った年月を人間の成長に重ねる例えっていう感覚もさ、自分たちにも子供が出来たから余計そう考えちゃうんだろうか。
実際、アートというものが、いかに自分の人生と共に歩んできているのかという事を、わりとしみじみ感じるよ。最近とくに。結局はさ、突き詰めていくと、美術史がぁとか、アートの文脈がぁとかなんだかんだごちゃごちゃ言っててもさ、自分のほどほどに幸せだったり、誰かにむかついたり、二日酔いで寝込んでいたり、家族がいてよかったなとか、家族なんて糞くらえでぶっ壊れちまえとか、その間で悩んでいたり、そんな人間のちっぽけな心情や感情の起伏みたいな所からしか結局表現なんてものは生まれてこないのかもと思ったりもするんだよね。あとはあれだ、あいつ詰まらねえ作品作ってるな、とかもさ重要なモチベーションだったりするのかもね、オンゴーイングでは特に。だけど、そういう態度が全体的にオンゴーイングの風通しを悪くしていると井出(賢嗣)君もいっていたけど、確かにその通りかもしれない。まあでもあれだよね、そうはいっても美術業界の流行り廃りとか、売れる売れないとか、美術史的に位置づけようとかを全く考えてないから、詰まらねえとか、面白れえとかの感覚がオンゴーイングで作品を評価する上では重要な基準なんだと思うのだよ。アートセンターなのに美術の文脈に守られていない、アーティストからすると恐怖でもあり、緊張感もある場所だけどさ。
またこんなうだつの上がらねえ事ばっかり言ってるけど、こうやって割と文章が書けるという事は、なんだかオンゴーイングがちょっと分かりやすくなってきている感じはある気がするなあ。そしたら今以上にごちゃごちゃして、意味が分からない雰囲気をもちながらもエネルギーが満ちているような場所としてもっと輝いていて欲しいなあ。そうするとやっぱり一度解体して、なんか作り直すのも面白そうだね。俺の、Ongoing Cafeの在り方としての夢は、中国の阿片窟みたいな雰囲気で、暗くて、煙たくて、たばこの吸い殻とか、痰とか、ピーナッツのカスとか全部床にぶちまけてあって汚いけど、餃子がめちゃくちゃうまいみたいなのがいいと思ってるんだよね、開業当初から。でも何よりも、そんなどぎつい空間なんかよりも、展示してある作品が一番面白れえっていう場所、ニューオンゴーイング。どう?