Art Center Ongoing

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Ongoing20周年に(もしそれがあるならばと)思いを馳せて

小川格(アーティスト)

Art Center Ongoingが10周年だという。最初期から関わってきた身としては(文字通り肉親的)至近距離のため、その歴史の俯瞰は難しいが、甚だ感慨深く、率直に喜ばしい。
現在の吉祥寺・女子大通りにスペースを構える以前にもOngoingは、2002年から2006年の間毎年、アニュアル形式のプロジェクトとして東京と神奈川の幾つかの場所でグループ展を開催して来た。それを勘定に入れると15年が過ぎたということだ。当初の瑞々しい情熱を携えた、懐かしい紅顔の面影は記憶と同様実際に雲散霧消し、或いは深夜に覗き込む三面鏡内の我容貌を鑑みるまでもなく、残兵にもいよいよ惨たらしく深い年季が入ってきた。アートというものはしかし貪欲な生命力を持ち、その血液が劣化すれば自動的に新鮮な輸血が施されるようだ(私達はせいぜい、献血後のヤクルト位の役割かも知れない)。時に「アートの息の根を止める」などと嘯き、誤った血液型のふりをして危篤状態の相手の懐でテロルを試みたつもりでも、結局は懇切丁寧な延命治療を施している。無事息災。むしろ私達はアートの生贄であり、地獄に堕ちた野郎(カンダタ?)どものようにも見える。
私事になるが15年前というと、ここ長野県の山奥に移住した年だ。コノ、チノ、ハテ。当時、我が長男が2歳(可愛いかった)。次男(も可愛いかった)はまだ存在しておらず。大自然の近景と遠景とが同時に激しく主張して存在する視野に、都会ズレした両眼の焦点は定まらず、戸惑い、クラクラと蹌踉(よろ)めいたものだ。自分がセザンヌのような、またはモネのような(ゴッホ、ボナール…)風景をモチーフに出来る画家(巨匠!)だったらどんなに良かったかと幾度となく思うほど、移り変わる野生の万物は常に美しく在る。かといって自分が育った、また違った意味で畏怖すべき東京での記憶が消滅するわけもなく、それはそれで尊い。Ongoingと歩んだ15年には、自分にとって様々な分裂的な、二律背反的な悩みも常に存在した。Ongoingにとってもきっと同様であったろうと想像する。我愛猫グルーチョはやって来て、そして死んでしまった。我ら何処に行くや?さて、来たるべく20周年?!
排気ガスに霞む、生き馬の目を抜く六本木の摩天楼に屹立する「Art Tower Ongoing」。55階はペインティング専門ギャラリー「Ongoing Paintigs 001」私はそこと契約し、月に数枚の絵画を捌くことで田舎暮らしを継続している。日本のアートシーンも漸く様変わりし、アーティストは他のすべての労働者と同等に尊い存在であると世間に認められて引ッ張リダコ……などと夢想しても。贅沢をしたい訳もないが、経済的な理由で活動を辞めていく(中に時にいる優秀な)アーティストが少しでも減ることを、人ごとのようだが自分のこととして真摯に祈ろう。(Ongoingを含めて)アートに救われた自身として、アートに僅かでも恩返しができたら良いと最近は考える。これからの未来、Art Center Ongoingは、アートに対してどのように働き掛けをしていく/いけるのだろうか?瞥見しながら、楽しみながら、忘我全力で並走したい。益々の狂気と静寂と、そして発展とを。