服部浩之(インディペンデント・キュレーター)
大学院生の頃、1年間スペインのバルセロナに住んでいた。当時住んでいたのは旧市街の一角で、かつては売春宿などが建ち並び多数の移民が暮らしていた地であったが、バルセロナ現代美術館(通称MACBA)を中心に据えた大規模再開発により変貌を遂げた地区だ。MACBAという白亜の現代建築の美術館は観光客をはじめたくさんの人を呼び込み、その周りはギャラリーやお洒落なお店で賑わっていた。この地区に暮らしていたことは、かつてこのあたりに住んでいた人たちはどこへ行ったのだろうかなどと疑問を感じ、芸術文化と都市の再開発やジェントリフィケーションの関係を考えるきっかけとなった。そんなある日散歩をしていると、MACBAの裏にひっそりと佇む特別な場所に出会った。正面は昔ながらの趣と歴史のある構えで、入り口を抜けると中庭があり、その先に総ガラス張りファサードの現代的な空間が出現する。脇から中に入ると、イベントスペースやカフェ、展示スペースなどが並存する空間へと至る。ここはCentre de Cultura Contemporània de Barcelona (CCCB)という施設だ。様々なことが日々起こっており、この街の若者たちが多数出入りしていた。展示だけでなく演劇やダンス、ライブなども実施している複合的な場を、建築学生だった当時の僕は「アートセンター」と総称することを知らなかったのだが、こういうささやかな場所が都市に存在することは、社会や文化、そして人間としての生活を考えるうえでとても重要だと直感した。
小川希さんは、ヨーロッパで様々なアートセンターに出会い、そういう場所が日本にも必要だと感じ、Art Center Ongoingを立ち上げたと言う。自身の生活圏にはなかった状況や場に出会い、アートセンターがある生活を築きたいと感じた点では、小川さんと僕の根底にあるモチベーションは似ているのかもしれない。この十数年で、日本にもアートセンターと呼ばれる場所が多数生まれ、僕らの学生時代とは状況が変わってきているは確かだ。
また、アジア諸国との関係構築が声高に叫ばれ、周辺の国や地域を多くの人が意識するようになった。僕自身、ここ10年間はアジアを中心に非西欧圏の様々な国や地域を訪れ、いくつもの土地でリサーチやワークショップ、展覧会などを実施することが多かった。15年前にヨーロッパにいたときは考えもしなかったことだ。こんな場所があるといいなと感じるような場が、アジア各地にも多数存在した。それらのスペースを営む人々は国や言語を超えた緩やかなネットワークを持ち、決して大きくはないアートコミュニティーの相互扶助的な状況に自然に参画し、しやなかに生き延びている。
小川さんは、2016年に国際交流基金アジアセンターの助成金を得て、3ヵ月間東南アジアのアートスペースを訪ねて回り、彼の地のアートコミュニティーと交わるようになった。Ongoingはこれらの国で活動する多くのアートスペースと根本的に親和性が高いだろうなと以前から感じていたのだが、東南アジアリサーチから戻った小川さんが起こしたアクションを見て、それは確信に変わった。彼は帰国して間も無くOngoing Collectiveを立ち上げたのだ。「コレクティブ」とは、東南アジアの多くのアーティストたちが実践する集団的協働の形態だ。「共同体」などを意味するコレクティブは、ヒエラルキーの強くない水平的な横のつながりや、友人関係を基礎に置く。Ongoingは、組織形態や役職が明確な公共の美術館やアートセンターとは異なり、運営する小川さんたちとそこに参加するアーティストたちの互助会的な相互扶助により成り立っている印象が強く、そもそもコレクティブ的性格の場だったのだ。小川さんが東南アジアのアートスペースやアーティスト・コレクティブに出会い、彼自身の活動を表す最も適したことばとしてコレクティブを再発見したのではないだろうか。
公的資金に頼らず、カフェの収益や入場料、そして小川さんの個人的な活動による収入のみで、東京の吉祥寺という場所で10年間自立したアートセンターを運営し続けたことは変えがたい価値で、すでにOngoingは多数のアーティストにとってなくてはならない場所であるはずだ。アジアの多くのアートスペースが、経済的な理由だけでなく政治的な状況も含めて継続することが簡単ではないことを考えると、Ongoingが東京に存在することは、多くの共感を呼んだに違いない。一方で、良かれ悪しかれこういう場所はそこを運営する個人の影響力が強く、「小川さんが」とつい表記してしまうように、属人的に考えられがちだ。しかし、関わる全ての人がOngoingを支えている事実は忘れてはならないだろうし、いつか小川さんの手を離れてもOngoingが姿を変えなんらかのかたちで続くことを期待したいと思う。
僕自身は公立のミュージアムに約10年勤務したこともあって、アートセンターが公共の場としてどのような価値や存在意義を生み出せるかに興味関心が強く、今後も公共空間としてのアートセンターを築く活動に従事できればと考えている。
いずれにしても、唯一無二の場所を兎にも角にも10年続けている小川さんに、そしてここに関わる全ての人に、乾杯!