遠藤一郎(未来美術家)
・長たるや
いやーーーーー、なんというか。ほんと、なんなんだろう。『小川希』、、という男。まずはここですよ。おれはどういうわけかこの長にトラワレテしまっていて、オンゴーで何かやらせていただく時は「絶対にこの長を笑わせないと、驚かせないと、面食らわせないと、泣かせないと、まったく全然ダメ!!」だと思っている。おれにとってそれがここに踏み入れる目標であり基準なわけで、またそれがそう容易でないのが心地いい。ガッチリ気合い入る。トラワレル。かといってカタイわけでもなく、なにせものすごくユルくもあるし、年々酒が増してるようにみうけられる、が、かと思えばキレキレの鋭い目つきと洞察力、あくなき探究心とブレないしぶとさ、で面倒臭そうなチャラい口調っぷり、とはいえ立場をこえて作品と作家を守り、芸術を貫く闘争本能、否めない根の暗さ、子煩悩なパパっぷり、植物の水やりだけは欠かさない。このようにとにかく手強いわけよ。茶番じゃいられん。自分に対しても見えすいた勝負は挑めない。結果おのずとオンゴーではいつも何か新しい試みをすることになり、お陰で初作品や新シリーズを生みだすきっかけはいつもオンゴーイングから。それをやっちゃえる、又はやろうとしちゃえる土台の広さというか、深さというか、日本一、だろ。アマクないしカタクない。ファーストのオンゴー。もっともっと『vsオンゴー小川希』にトラワレタほうが血が騒ぐってもんだよ。そんな魔力がある。新しい船が動き出すんだから、それはそれはいろいろ愉快痛快でしょうがないんだから。
・オンゴーギャルズ
(と勝手に脳内で呼んでいるけどねえ、)
そんなわけではないんだろうけど、いやいやでもどこかそんな虫の知らせを察知してしまってか、トラワレテしまってかオンゴーの元に集まっている個性がすごく愉快で好き。ギャルズといっても若人だけでなく、腰の座ったマダムもいれば新聞記者やテレビ局のダンディーもいて、スクラム組んでまとまったチームって感じじゃないし、結集したって感じもしないのだけど。ただなんとなく真心みたいなもの。なんだか互いに面倒見がよく、よくよく助けあってなんやかんや世話やいて、一生懸命やって楽しそうにやらかす。見えづらいとこだけど、実は彼等がプロジェクトをより相応しく妙に滑らかに運営していくミソになってる。どういうわけかそんなだから面白い。
・笑っていいとも式みたいだな
前からそう思うのだが。だいたい2週間サイクルで次から次へと人々や物事が移り変わり、ゆきゆきて10年って半端ないよ。その喜怒哀楽たるや半端ない。心身ともに凄まじいものがある。そしてオンゴーギャルズと共にこの半端ない芸術的サイクルこそがオンゴーを回しつづけているようで感動する。
人や作品がたえず動くことで出入りすることで膨大な摩擦や交差が生まれていて、ましてやそれは芸術だアーチストだみたいなキテレツな物事が生み出す灼熱なわけで、その積み重なりはどんどんオンゴーイングという唯一の空気を作っていき、それを体に絡めまとった人々や作品がまた日本や海外に広がり、また何かをまとって帰ってくる。
この10年、吉祥寺のそこはそのパワーを生み出しつづけ、放出しつづけ、蓄積しつづけてきたわけで。その摩訶不思議なエネルギーにより回し回されつづけてきたのだろう。それが社会や経済やシステムを凌いできたからこそ現存し回りつづけ、これからも回されつづけるなら素敵だ。担えたことに感動する。そのシェアの在り方は、いわゆる昨今のバーチャルシェアとはまったく種類が違っていて、緩やかに変形しつつも離れがたく繋がっているので強い。今後はむしろ社会の手本になるリアルシェア。2020年以降。
・屋上菜園
そしてそんなオンゴーイングの心臓部がここだろう。たぶん。下のドタバタそんなこんなあんなこんなを、そんな循環を上から静かに守っているようだ。それを感謝するように長は水を満たすのを忘れない。心臓の番をしている。心地よさそうに。知られざるかもしれないが、たぶんいろいろ。そういうことなんだとおもう。
思い出すのは初年度から小川さんが「あーーーーもう、来年ツブレルかも」ってよく言ってたこと。だけど「このコンロさーー、ヨーロッパから買っちゃったんだよねえー」とも言って嬉しそうに笑っていた。そこで歴代の看板娘たちはみんなテキパキと旨い料理をふるまい続けているわけで。ガチャガチャうるさい者共の後片付けをときには終電をこえて鎮めてくれていて、そんだからまたガチャガチャやれちゃって。なんだかよくわからんけども真心。おそらく血の巡りはいい。そんなここがツブレルわけないのだ。わからんけど。こんなとこがツブレルわけがないでしょ!!
オンゴーイング最多出場の最高名誉は今後もかたくなにシシュしていくつもりです。