Art Center Ongoing

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私とOngoing

藪前友子(東京都現代美術館学芸員)

私ごとからはじめて恐縮だが、私は2004年から東京都現代美術館で働き始めた。その数年前からアルバイトで通っていたのだが、記憶に残る思い出は、2003年、佐賀町エキジビッド・スペースが閉まる、最後の日のことだ。食料ビルの空間だけを見せるという、今となっては伝説的な「展覧会」だったが、バイトの職場からバスに乗って辿り着いた時には、すでに全ては終ってしまっていた。祭りの後と言った体【ルビ:てい】の塀の中を眺めながら、私はこの光景から始めるのだな、と何となく考えたのを覚えている。
ちょうど、1990年代の半ばから始まった日本の現代美術のインフラの変動が、新しい段階に入る時期だった。その後、佐賀町に入っていたギャラリーが新川から清澄白河にコンプレックスを作り、その次の世代のギャラリーも活動を始めて、東京の現代美術の地勢図が大きく変わっていった。2007年、私は美術手帖のレビュー欄を担当した。その頃同誌には、新人の学芸員や批評家に1年間欄を任せ、とにかく可能な限り歩いて展示を見て書かせるという、長きに渡る定番企画が続いていた。新しく出来ていく新世代のギャラリーも回りつつも、銀座の老舗や貸し画廊の中にも、見逃せないところがまだ幾つかあった。「現代美術」とは何を指すのか、複数の評価基準の中で揺れながら、ひたすら模索の1年だった。
その翌年、美術手帖の「歩いて書かせる」レビュー欄が終了した。一人の人間が、現代美術の動向を網羅的に見るというコンセプトが不可能であるという、この領域の複数化を象徴するような出来事だった。吉祥寺に、佐賀町以来の東京を代表するオルタナティブ・スペースが誕生したのは、その年のことだ。このスペースは、私と同世代の1970年代生まれの人々が年に1回集って作る展覧会のネットワークから作られていた。佐賀町以降、を意識していた私にとって、このスペースの「Ongoing(現在進行形)」という名前は、象徴的であるように思えた。以来、このスペースは、東京の現代美術館で働く私にとって、仮想の並走者であり続けて来た。
さて、2008年当時の東京には、美術館とギャラリーの中間の領域がほとんどないという状況があった。東京都現代美術館のグループ展のシリーズ、「MOTアニュアル」だけでなく、コレクションでも、若手アーティストを収集・紹介していく機会が増え始めた時期だった。現代美術館の巨大で強い空間を制御できる作家の育成の機会が限られているという実感があるなか、大きなスペースではなかったが、実験場としての「Art Center Ongoing」に対する期待を持ったことを覚えている。オープン翌年の2009年、首謀者の小川さんが、アートプロジェクト「TERATOTERA」の活動を始め、地域の中へ出て行くことになるが、これは日本各地で地域アートプロジェクトや国際展が爆発的に増える直前の時期でもあった。その後、日本の若手アーティストたちの発表の場が、以前のように貸し画廊などではなく、自分たちで組織した空き家や廃ビルを使ったプロジェクトであることも珍しくなくなった。「Ongoing」はそのはざまの絶妙な時期に東京に現れたと言えるだろう。
最初の展覧会である、和田昌宏の個展についてはよく覚えている。DIY感覚たっぷりの展示物の中に、読売アンデパンダンの時代を思わせる、オルタナティブな場所の誕生にふさわしい混沌がそこにあった。その後、和田昌宏の個展は何度かこの場所で目にしたが、毎度全く違う様相を見せていた。この場所の持つアイデンティティが、作家の個性を束ねていたとでも言えようか。
作家が繰り返し、自分の作品に署名をすることを考えずに、実験を重ねる事が出来る場。それが「進行中」と名乗るこの公共空間の使命なのだろう。地域アートプロジェクトの多くが、土地の文脈をリサーチし、その場所との必然性な関係を問いつつ現れるのと違って、「Ongoing」の個性は、作家にとってもスペースそれ自体にとっても、文脈を自らの内部に設定できるところだと思う。ニュートラルな実験の場は現在の日本のシーンにとって非常に貴重だ。それは言い換えれば、アートという領域の自律性を問うことができるということだ。
付け加えればこの自律性には、それを支える運営のシステムの問題も絡んでいる。「Ongoing」の展示を、ドリンク一杯付きの有料にします、という小川さんの苦渋の決断のお知らせメールが来た時のことを思い出す。オルタナティブな活動を支える日本の文化的な基盤の脆弱さについて考えさせられる出来事だったが、今振り返るとそれは必然的なことだったと思う。「Ongoing」は、この場を必要としている「私」たち全員で支えるべきスペースだからだ。
TERATOTERAの活動や海外に向けたレジデンスなど、日本のアートマネージメントの現場における「Ongoing」の意味について、触れるべきことはたくさん残っているが、本稿では、「私」の個人史と絡めつつ「Ongoing」の意義を振り返った。「現在進行形」のこの空間を歴史化してしまうのはまだ早い。次の10年間も、現代美術館で活動する私にとっては、鏡のような関係を意識しながら、ここに通い続けることになるのだろう。