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ニヤニヤ

柴田祐輔(アーティスト)

オンゴーイングで展示をするのはいつも緊張する、これまで何度も個展をやっているはずなのに、知り尽くしている空間なはずなのにいつも緊張する。それは間違いなく代表の小川さんのニヤニヤによるものだ。これまで展示の打ち合わせといったものや作品のプランなどを小川さんに出したことは一度もなく、毎回そのすべてを自由にやっていいよと委ねられる。小川さんは展示準備の進行具合をニヤニヤしながら眺めるだけで、決して一言も助言めいたことは言わない。ただニヤニヤしている。このニヤニヤが求めている事が何であるのか、又その困難さを僕は十分に理解している。そのハードルは余りにも高く、これまでこのニヤニヤに応える為に自分の友人や妻の有給休暇までをも犠牲にして頑張ってきた。ニヤニヤには容赦が無い。
ニヤニヤの意図する展示の成功は販売された作品の数や価格、動員数には依存しない。それは評論家による評論によるでもなく、作品自体が成功しているかに他ならない。作家は自由に作品の成立の事だけを問い続ける事が出来ると同時に、その自由さの質を問われる事となる。なんでもやっていいという寛容さ(ニヤニヤ)は、オンゴーイングでしかできない自由で型破りな未開の表現への挑戦を余儀無くする。嗚呼、本当の意味で自由にやっていいということのなんと厳しいことか。このピュアな苦しみと向かい合えるオンゴーイングが世の中に存在してくれる事が私にとってどれだけありがたい事だろうか。オンゴーイングがなければ僕みたいなタイプの作家は発表の機会をほとんど持てずにいただろう。もしかしたら他のオンゴーイング作家と言われている人たちもそうだったかも知れない。オンゴーイング作家とは売れない作品ばかりを作っている作家を指すんだろう。もちろんその総本家であるアートセンターオンゴーイングの代表小川さんは別に売れない作家ばかりを集めた訳では無いのだろうが、結果小川さんが観たいアートはそういった作家ばかりが作るものがほとんどだった。マーケットとは全く別の土俵で勝手に繰り広げられる、余りにも無謀で果敢過ぎる挑戦の数々を前に小川さんはニヤニヤしているのだ。僕自身もこれまでそんなオンゴーイングでしかあり得ない作品の質の高い自由さに勇気付けられ、嫉妬させられてきた。そこにはいつも、何でも出来る、許されるオンゴーイングだからこそ外せないという、なにか作家の本気みたいなものがあった様に思う。
もう手伝ってくれる友人の有給休暇は残っていない。これまで徹夜で制作を手伝ってくれていた妻も、終いには生活を脅かすARTが嫌いになってしまった。この後どうやってこのニヤニヤに答えていこうか。頑張るっきゃナイ!