Art Center Ongoing

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人生が交差する場末のアートスペース

小鷹拓郎(アーティスト)

Art Center Ongoing10周年、本当におめでとうございます。
10年という期間は、とても長く、大きな節目だ。オンゴーイングに関わってきた人間にとっては、それは「場所」という枠を越え、もはや人生の一部になっている。
オンゴーイングとの付き合いはかれこれ7年。7年前の僕はというと、半年に及ぶアフリカ旅行から帰ってきたばかりで、とにかくお金がなく、さらには勢いにまかせて世界最強に儲からないリサイクルショップ「こたか商店」を開業したばかりだった。リサイクルショップで働いた経験もないので、店の前にあった普通の石に値札を付け販売したり、お客さんから委託されたオウム真理教グッズや新興宗教グッズを販売したり、やることなすこと手当たり次第に挑戦し、失敗し、とにかく儲からないけどそれなりに楽しい毎日を送っていた。
ある日、黒いキャップにグレーのTシャツを着ている謎のラップ野郎が現れた。その男こそ「オンゴーイングの若頭」こと、アーティストの井出賢嗣。会った瞬間からお調子者で、とにかく面白い奴だった。当時うちのお店がこれは絶対に売れないだろうと自負していた商品のひとつ「油性マジックで適当に描いたタモリのTシャツ(4000円)」を即買い。さらに、コンビニで大量の缶ビールを買ってきてそのまま一緒に呑む事になった。そんな井出くんを通してオンゴーイングという存在を知り、代表の小川さんと出会い、会って2週間後にいきなり個展が開催され、周辺のアーティストたちと仲良くなり、いつのまにかオンゴーイングに引き込まれ、気づいたら特に用事もないのに呑みに通うようになっていた。もしあの時井出くんがこたか商店にこなかったら、手描きのタモリのTシャツを買わなかったら、僕は今とは違う人生を歩んでいたのかもしれない。
当初のオンゴーイングは、とにかくガラの悪いヤンキー集団たちが集まる場所で、己の不安や野望をぶつけ合う場末のアートスペースだった。僕にとってはアートスペースというよりハプニングバー、展示スペースというよりリング場。たまにアーティスト同士のガチ喧嘩も見ることができる貴重な場所だった。
そんなオンゴーイングも10年の時を得て変化した。たまに喧嘩が見れるのは今でも変わらないが、ガラの悪いヤンキー集団たちも年齢と経験を重ねて成長し、アートを辞めてしまった人もいれば、国際的なアーティストに成長した者もでてきた。特に代表の小川さんが東南アジアへオルタナティブスペースのリサーチに行った後は、国内の若手アーティストだけでなく、アジア全体の若手アーティストたちにとっても重要なアートスペースとして認知されるようになってきた。
アジアの若手アーティストの中にも英語が全く話せないアーティストたちがたくさんいる。そんな彼らにとって「日本語も英語も喋れないけど、日本に行ったらとにかくあそこに行けば何とかなる」と思わせる場所があることがどれだけ心強いことか。悶々と孤独にパワーを蓄えてるヤツら、さらにそいつらを強力な接着剤で繋げていくヤツらがいて、それが連鎖していくことで世界が少しずつ広がり、良くなっていく。
僕は、僕が関わってきた7年間で4回の個展をオンゴーイングで開催したが、その間、色んなことがおこった。国内外でたくさんの展覧会やイベントに関わり、経営していたこたか商店が潰れ、お遍路修行の旅に出発し、展覧会で裁判沙汰になり、「国立奥多摩美術館」で骨折し、新たな家族も誕生した。そして今、僕は1年間タイ・チェンマイに拠点を移して制作しながらこの文章を書いている。
さらに10年後、アートセンターオンゴーイングはどうなっているんだろうか、周りのアーティストたちや自分の家族はどうなっているんだろうか。未来を想像するのがとても楽しみだ。