Art Center Ongoing

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運動体としてのオルタナティヴ・スペース

福住廉[美術評論家]

「いらっしゃいませ!」。言うまでもなく、日本の飲食店で必ずといっていいほど耳にする定番のフレーズである。現代日本の消費社会を象徴する典型的なサウンド・スケープと言ってもいい。ただ、わたしはかねてから吉祥寺のArt Center Ongoingを訪ねているが、店内に足を踏み入れたとき、この定型句を聴いた憶えはない。一度もないと言っても過言ではないのかもしれない。展覧会を鑑賞するには入場料の400円を支払う必要があるので、黙って2階の展示スペースに上がるわけにはいかない。そのため店員の応対を待つほかないのだが、彼女たちはカウンターの奥に隠れていることが多い。こちらから声をかけることもなくはないが、それでも反応がない場合も少なくない。この戸惑いを含んだ違和感は、10年経った今でもほとんど変わらない。
むろん、Ongoingの10周年を祝うのに、やや批判めいた嫌味を言うつもりは毛頭ないし、あまつさえ飲食店としてのサービスの不徹底をあげつらいたいわけでもない。ただ、正直に告白すれば、Ongoingの10年間を振り返ったとき、もっとも印象的なのは、数々のすぐれた個展やアート・プロジェクトというより、むしろこのような日常的な光景なのだ。それが何らかの意図にもとづいた約束事なのか、それとも無自覚のうちに共有されている集団的無意識の現われなのか、正確なところはわからない。だが、少なくともわたしにとっては、それがOngoingの通時的な特徴のひとつなのだ。 しかし、よくよく考えてみれば、こうしたある種の素っ気ない応対には、むしろ積極的な意味が含まれているように思われる。なぜなら、Ongoingは飲食店というより、むしろオルタナティヴ・スペースだからだ。カフェやバーとしての機能と展示のそれを兼ね備える点は、昨今のオルタナティヴ・スペースの大きな特徴である。だとすれば、資本主義の論理によれば、商売をする気がまるで見受けられない、ぶっきらぼうで無愛想な身ぶりだとしても、一方でそれは今日のオルタナティヴ・スペースのある種の本質的なエトスとして考えられるのではないか。
Art Center Ongoingは東京で随一のオルタナティヴ・スペースである。随一と断言したいのは、他に類例を見出すことができないほど、それが質的かつ量的な実績をたしかに残しているばかりか、まさしく現在進行形でそうした活動を継続しているからだ。遠藤一郎や岩井優、淺井裕介、有賀慎吾、小鷹拓郎、高田冬彦、林千歩といった気鋭のアーティストの個展を数多く開催してきただけではない。2008年のオープン以来、Ongoingは吉祥寺の街中で一貫して活動を継続している。新進のスペースが次々と現れては消えてゆくなかで、休止や移転の期間を差し挟むことなく、10年に渡って同じ場所で活動を保ち続けてきた事実がもつ意味は大きい。いまやOngoingはコマーシャル・ギャラリーとも貸画廊とも異なる第三の展示空間として全国の美大生や鑑賞者に広く知られているし、そうした持続可能性のなかで、井出賢嗣、太田遼、柴田祐輔、東野哲史、山本篤、和田昌宏といった優れたアーティストが確実に育まれているからだ。つまり現代美術の文字どおり代替的(オルタナティブ)な制度として機能しているという点で、Ongoingはまさしくオルタナティヴ・スペースなのだ。
とはいえ、Ongoingをオルタナティヴ・スペースとして歴史化しようとすると、たちまち大きな困難に直面することを余儀なくされる。オルタナティヴ・スペースという用語は美術の世界に定着して久しいが、それが実質的に何を指示しているのか、じつはきわめて曖昧だからだ。日本におけるオルタナティヴ・スペースといえば、小倉の「Gallery SOAP」をはじめ、前橋の「ヤーギンズ」、名古屋の「トランジットビル」、東京の「素人の乱12号店」、仙台の「ターンアラウンド」などをわたしは連想するが、研究者によっては東京の「スパイラル」、横浜の「BankART 1929」、仙台の「せんだいメディアテーク」などを含める人もいる。だが運営形態の面でも、あるいは展示空間の面でも、前者と後者を同じオルタナティヴ・スペースという言葉で包括するには到底無理がある。Ongoingにしても、アート・センターと自称しているにせよ、その活動内容は、たとえば同じくアート・センターを名乗る東京の「3331 Arts Chiyoda」のそれと異なっていることは明らかだ。つまり、たとえ名称がギャラリーであるとしても、オルタナティヴ・スペースとして位置づけたほうが適切である場合があるように、オルタナティヴ・スペースとはおそらく一般的な呼称ではない。それは、ある特定の関係性の中ではじめて意味を生成させる、ある種の批評性のことではなかったか。

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たとえば、オルタナティヴ・スペースとは、学術的には次のように定義されている。「一般的に元倉庫や家屋を再利用した非営利の団体や個人によって運営される現代芸術の制作・発表が行われる空間」[1]。このうち「家屋を再利用した非営利の団体」によって運営されている点、および「現代芸術の制作・発表」が行われている点を鑑みれば、Ongoingがオルタナティヴ・スペースであることはほぼ間違いないと言ってよい。しかし、その一方で、こうした定義によってOngoingをとらえることに、若干の違和感を覚えることも否定できない事実である。なぜなら、ここにはOngoingと似て非なるスペースも内包してしまう拡がりが含まれているからだ。それは、おおむね3つの側面から指摘できる。
第一に、空間および活動規模の水準。「家屋や元倉庫を再利用」するという点において、OngoingはBankART1929や3331 Arts Chiyodaと重複してしまう。だが、巨大倉庫ないしは中学校をリノベーションした後者に比べれば、前者の展示空間の容積が圧倒的に小さいことは言うまでもあるまい。また、後者が横浜市と千代田区という行政とのある種の互恵関係にもとづいているのとは対照的に、Ongoingはとくに行政からの支援や協力を得ているわけではない。むろん、近年は東京都による「東京文化発信プロジェクト」と協働しているが、それはOngoingの街中に展開してゆく多面的な活動の一環であって、特定の空間に依拠したギャラリーの企画やカフェの運営と直接関係しているわけではない。つまり、後者が作品の収集と保存という機能こそ備えていないものの、活動の基盤とする展示空間の大きさの面でも、あるいは官設民営という運営形態の面でも、ほとんどミュージアムに近いエスタブリッシュだとすれば、前者は相対的にインディペンデントであると言えよう。言い換えれば、現在のオルタナティヴ・スペースという幅広い概念には、その相反する両極が内包されているのである。
第二に、空間の使用目的という水準。「発表が行われる空間」はともかく、「制作が行われる空間」という点において、Ongoingは共同アトリエのオープン・スタジオと重複してしまう。事実、2000年代以後、美術大学を卒業した複数のアーティストたちが共同でシェアするアトリエを一般に公開して自分たちの作品を発表する事例が増加している。たとえば「奥多摩美術館」のように、そうした動向が若きアーティストたちにとって世知辛い世の中をサヴァイヴするための有効な代替的手段となっていることを踏まえれば、それらをある種のオルタナティヴ・スペースとして考えることもできなくはない。ところが、双方が「制作」と「発表」を兼務していることは事実だとしても、活動の重心を共有しているわけではないことは明らかだ。Ongoingは何よりもまず作品を発表する場である。むろん、昨今は現場制作によるインスタレーションを手がけるアーティストが少なくないから、Ongoingは共同アトリエと同じように制作と発表の場を兼ねていると言えなくもない。とはいえ、基本的には制作の場でありながら一時的に発表の場として公開する共同アトリエとは対照的に、Ongoingはほとんど絶え間なく発表の場として公開されているから、そこはやはり基本的には発表のための現場なのだ。
第三に、表現の質を問う批評的な水準。「現代芸術の制作・発表が行われる空間」という言い方には、ある種の曖昧さが含まれていることを否定できない。原理的に考えれば、「現代芸術」は、美術にかぎらず音楽や文学、映画、ダンス、詩、書など広範囲な創作活動を包括しうるからだ。ここには、むろん、手芸や工芸など美術の近接領域ないしはアウトサイダーアートのような周縁領域も該当する。だが、Ongoingは決して諸芸術に対応した展示空間ではないし、あまつさえそのような近接ないしは周縁領域を内包しているわけでもない。事実、Ongoingの活動履歴を一瞥すれば一目瞭然であるように、そこにはpixivで発表しているような今日の日曜画家は見当たらないはずだ。つまりOngoingは、あくまでも現代美術(・・・)のための現場なのだ。言い換えれば、Ongoingは現代美術の圏外に突き抜けるラディカリズムを志向しているわけではなく、明らかにその圏内にある。それが証拠に、Ongoingで自らの作品を発表することを望む者は、代表の小川希の審美眼を通過しなければならない。これまでOngoingの展覧会に参加したアーティストたちにしても、その大半は美術大学を卒業した者ないしは在学中の学生である。このことは、Ongoingが何でもありの無法地帯というわけでは決してなく、一定の水準以上の作品の質を担保したギャラリーであり、その意味で、コマーシャル・ギャラリーや貸画廊と重複するが、必ずしもそれらのギャラリーと完全に合致するわけではないという特質を如実に物語っている。
したがってOngoingをオルタナティヴ・スペースとして歴史化するには三重の意味で困難がある。それは、一方でエスタブリッシュのオルタナティヴ・スペースと重複する恐れがあり、他方で共同アトリエと混同されかねない。さらに、作品の質を要求するという点で、既成のギャラリーとも類似する。つまり、ことほどさように、オルタナティヴ・スペースという概念とOngoingの活動実態とのあいだには無視し得ないほどの大きな差異が広がっているのである。しかし、逆に言えば、そのような言葉と活動との乖離にこそ、Ongoingの本質が隠されているのではないか。

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「従来の造形芸術に収まらない新しい形態の表現のために生まれた空間」[2]。前述したオルタナティヴ・スペースについての定義をAとすれば、これは別の論者による定義Bである。ここには、定義Aが言及していた空間的な特性や運営形態の論点は一切含まれていない。しかしその反面、使用目的の面で、まったく新しい要素が打ち出されているところが、定義Bの大きな特徴だ。すなわち、新しい表現形態のために創設されたというオルタナティヴ・スペース誕生の経緯である。事実、オルタナティヴ・スペースの元祖として評価されているPS1は、現在はニューヨーク近代美術館の一部として再編成されているが、1975年に設立された当初は、70年代に台頭してきたサイトスペシフィックなインスタレーションを制作する若いアーティストたちに好まれ、また必要とされていたという。裏を返せば、それは既成の美術館や画廊がそのような新しい表現形態の美術作品の制作と発表には必ずしも適していなかったということだが、重要なのはオルタナティヴ・スペースとは本来的に先鋭的で実験性の高い美術作品のための受け皿だったという事実である。オルタナティヴ・スペースとしてのOngoingは、定義Aを共有しつつも、定義Bに重心を置いているにちがいない。
じっさい、Ongoingで発表される作品には先鋭的なものが多い。むろん、先鋭的にすぎるあまり、理解と共感に苦しむ作品も少なくないが、フォトジェニックなだけの作品を展示しがちなコマーシャル・ギャラリーや時代錯誤きわまる作品が依然として多い貸画廊では決して出会うことのできない、野放図で荒削り、なおかつ常軌を逸しているが、しかしエモーショナルな作品を目撃できるのがOngoingの醍醐味にほかならない。
たとえば今でも記憶に新しいのは、岩井優と淺井裕介の個展である。彼らの個展が優れていたのは、両者がともにOngoingの外部、すなわち街中でも作品を発表していたからだ。クリーニングをテーマに作品を展開している岩井は廃墟と化した建物の1階のシャッターの落書きを長方形のかたちにきれいに清掃した作品を、淺井は駐車場の壁に描かれた落書きの黒い描線に応答しながらピンクのビニールテープを壁に貼りつけた作品を、それぞれ発表した。美術館にせよ画廊にせよ、通常、外部の日常空間に作品を展開することには慎重になりがちである。なぜなら、それは通常の業務以外の面倒な手続きや交渉を必然的に派生させてしまうからだ。地元住民らにたいする猥雑な交渉を繰り返すことを余儀なくされるし、法的には違反広告物ないしは美観を損ねる迷惑行為とされるグラフィティと接触する表現行為は、場合によっては処罰の対象になりかねない。だが、岩井であれ淺井であれ、両者の表現の核心が美術館や画廊の外部に広がる日常生活のただ中にあることを見抜いていたからこそ、おそらく小川はOngoingの内側で個展を開催しつつも、同時に、その外側での展開を実現させたのではなかったか。だとすれば、Ongoingはやはり美術館や画廊といった既成の制度ではなかなかなしえない先鋭的で実験性の高い美術作品を制作・発表する現場なのだ。
オルタナティヴ・スペースの先鋭性――。いや、オルタナティヴ・スペースが既成の美術館や画廊との対抗関係から誕生した経緯を踏まえれば、敵対性と言ったほうが適切なのかもしれない。しかし、設立当初のPS1がもちえていた対抗性が徐々に酷薄になっていったように、好むと好まずとにかかわらず、オルタナティヴ・スペースの敵対性はやがて制度の内側に回収されてしまう運命にある。それは、ある種の例外としてあったサイトスペシフィックなインスタレーションという表現形態が、オルタナティヴ・スペースという適切な空間を得ることによって、いつの頃からか常態化していく過程と、おそらくパラレルの関係にあるのだろう。表現の先鋭性とは作品に内在する絶対的価値というより、むしろ作品を包括する状況との関係性から生じる相対的価値であり、その意味でそれはいかなる条件にも左右されない不動の価値ではまったくなく、逆にさまざまな動因によって変動しうるからだ。あるいは、他者ないしはオルタナティヴを回収することで自己増殖を繰り返してきた近代という論理と力学がオルタナティヴ・スペースの先鋭性を巻き込む点も指摘できるだろう。どれほど鋭利なカッティング・エッジだとしても、いずれ中心に吸い寄せられ、やがてその刃を滑らかに平板化することを余儀なくされるのだ。
Ongoingが優れているのは、そのような回収運動に抗う運動性を維持しているからだ。未成熟と可能性が渾然一体となった若いアーティストらに意欲的に発表の機会を提供するばかりか、東京都の文化事業と協働したり、海外のアーティストを招聘しレジデンスをさせたり、Ongoingはさまざまな事業を次々と展開している。それはある一面ではみずから制度化に寄与しているように見えなくもないが、別の一面では先鋭性という相対的な価値を生成させるための新たな状況を構築しているのである。状況を停滞させてしまっては有能な新人アーティストも先鋭的な作品も望むことはできない。状況はつねに更新され、拡充されなければならない。その運動を諦めたとき、オルタナティヴ・スペースはその批評性を失い、凡庸なアート・センターなりギャラリーなりに堕するのである。Ongoingは10年にわたって同じ場所で活動を継続してきたが、この客観的な事実をもとにすれば、それは「不動性」と形容するのがふさわしい。だが、その活動の内実に分け入って内側から観察すれば、それはまさしく「可動性」として理解するのが適切であることに気づかされるだろう。オルタナティヴ・スペースとは、特定の空間を指すカテゴリーなどではなく、むしろそのような現在進行形の運動性のことなのだ。

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だが、それだけではない。オルタナティヴ・スペースのもうひとつの特徴として挙げられるのが、アーティストを引き寄せる求心力を発揮している点である。前述したGallery SOAPにせよ、ヤーギンズにせよ、ターンアラウンドにせよ、それぞれ地元のアーティストたちが日常的に集まり、いわば彼らにとっての「たまり場」になっているという点で通底している。とりわけ美大を卒業した後、労働に従事しながら制作を続けるアーティストにとって、家庭でも職場でもないサードプレイスを確保することの意味は大きい。そこでの情報交換や交友は生活と制作をともに支える重要な基盤になりうるからだ。だからこそ今日のオルタナティヴ・スペースは、展示のための空間だけでなく、カフェないしはバーを併設しているのである。あそこに行けば、誰かが飲んでいる。誰かと話すことができる。Ongoingは、とりわけ中央線沿線に拠点を置くアーティストにとって、なくてはならないたまり場なのだ。
その意味で、Ongoingの歴史的起源は、日本におけるオルタナティヴ・スペースの嚆矢とされる「佐賀町エキシビット・スペース」(1983~2000)より前の、1960年代に求められるのかもしれない。具体的にいえば、東京の百人町にあった「新宿ホワイトハウス」や荻窪駅前にあった「おぎくぼ画廊」は、空間的にも内容的にも、Ongoingにとっての偉大な先達と言えるのではないか。前者は、言うまでもなく、磯崎新によって設計された吉村益信の私邸であり、同時に、赤瀬川原平や荒川修作、篠原有司男、田中信太郎、吉野辰海らが日常的に出入りしていたからであり、後者は、おぎくぼ画材店の2階にあった画廊で、Ongoingと同じく中央線沿線に住んでいた画家や美術評論家のたまり場となっていたからだ。前者から「ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズ」が生まれ、後者には赤瀬川原平のいわゆる「千円札裁判」の際、被告側の事務局が置かれていたことを思えば、双方がいずれも先鋭的な価値を生み出す現場だったことはまちがいない。たまり場は一見すると活動の停滞のようだが、じつは活動の動力源なのだ。
現在進行形で活動しているOngoingの未来は誰にもわからない。だが、いま現在、もっとも注目すべき活動を展開しているオルタナティヴ・スペースがOngoingであることは間違いない。

[1] 井上真央「現代日本におけるオルタナティヴ・スペースをめぐる諸問題」、『待兼山論叢』No.48、2014年

[2] 杉田敦「オルタナティヴ・スペース アーティスト・ラン・スペース」、『美術手帖』Vol.57、No.861、2005年2月号