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小川先生ありがとう

田中義樹(アーティスト)

小川先生と出会ったのは自分が13歳の時でした。
小川先生は、自分が通っていた中学に美術の非常勤講師として入って来ました。
先生の授業は他の先生の授業とは全く異なるもので衝撃的でした。
初めての美術の授業でクラス全員に藁半紙を1枚ずつ配り、
「この紙を1時間かけて、くしゃくしゃと手で揉んで和紙のように柔くしてください。破らないように注意して。これが今日の課題です」
と言ったのです。絵を描くか、粘土を触るしか美術の授業でやったことない自分たち生徒は少しざわつきましが、すぐに、これはいつもより楽そうだと嬉々として取り組みました。
しかしこれがなかなか難しく、藁半紙はあまり強く揉みすぎると破れてしまう。すると小川先生は笑いながら、新しい藁半紙をくれました。1時間も藁半紙を揉むと、それは上質な和紙のように柔らかくなっていて、最初のただの藁半紙を触ってみると、こんなにも変わったのかと驚きました。小川先生は授業の締めくくりで言いました。
「この藁半紙のように自分たちの手で以って、ものの見方をガラリと変えてみせることが美術のひとつの役割です。そういうことを考える授業をこれからやっていきたいと思っています」
なんだか素敵なことだと感じた自分はもう少し先生から美術の話を聞いて見たいと思い、放課後に美術室を訪ねてみたのです。気の弱い自分にとってこれは結構な勇気が必要なことでした。
夕日が差し込む美術室で小川先生は1人コーヒーを淹れて飲んでいました。その表情はどこか寂しげで、自分は声をかけるのを少し戸惑ってしまいました。先生は自分を見るなり言いました。
「やあ。どうしたんだい。ええと君は確か2組の」
「田中です」
と緊張気味に返すとは先生は笑って、コーヒーを淹れてくれました。この時初めて人からコーヒーを淹れてもらい、なんだか少し大人になったような気分でした。5分ほど世間話の後、自分は勇気を振り絞って言いました。
「今日の小川先生の美術の授業、面白かったです。ものの見方を変えるのが美術なんて思ったこともなかったから。だからもう少し小川先生から美術について教えてもらいたいと思いました」
すると先生は、こう返したのです。
「僕に教えられることなんて何もないよ」
自分はこの答えにとても驚いたのです。先生は続けました。
「僕は今は一応先生という立場だから、勘違いされちゃうんだけど実は美術について何もわからないんだ。ものの見方を変えることが美術かもしれないし、そうじゃないかもしれないし」
あっけにとられました。
「でも美術について話し合うことはできるよ」
えっ、と言った自分に先生はまた続けました。
「田中くんは美術ってなんだと思うかい」
答えに困り口ごもった自分に、小川先生はいろんな面白い美術作家について話してくれました。それは、みんな小川先生の友達の作家だそうで、今までピカソとか岡本太郎とか既にこの世にいない美術作家しか知らなかった自分はとても驚きました。現代に生きていて、その中で感じたことを本当に自由な方法で表現する人達の話に、胸がときめいたのです。小川先生はその作家たちを集めて『Ongoing』という大きな展覧会を何回も企画していたらしく、本当にすごい人なんだと思いました。
「どうしてこんなにすごいことをやっているのに学校の先生なんかしているんですか」
という自分の質問に先生は、自分の目を見ながら言いました。
「お金を貯めていつか、アートセンターを建てたいんだ。美術について知っている知ってないに関わらず、話ができて、いつも最高に激しい作品が展示してある。そんな場所を作るのが夢なんだ」
自分はいつかその、夢のアートセンターが完成したら行って見たいと思いました。
その後、すぐ小川先生は退任となりましたが、その年にすぐオンゴーイング(Art Center Ongoing)がオープンしました。今思うと、先生はあの、「美術とはなんだ」という問いの答えをオンゴーイングで出そうとしているのだと思います。小川先生。あの時の答えはもう出たのでしょうか。僕はまだ出ていません。あの時から自分は積極的に「美術とはなんだ」というディスカッションを友人と交わしています。
この間、久しぶりにオンゴーイングを訪ねた時、また小川先生と美術の話をしました。 その時自分は、13歳のあの時の美術室に帰ってきたような気がして、涙が自然とこぼれました。自分にとっての故郷であるオンゴーイングがこれからもずっと続いていくよう心から願っています。