Art Center Ongoing

SEARCH EXHIBITION & ARTISTS

Piece of future

井出賢嗣(アーティスト)

目が覚めると僕の顔の前に小川くんの顔があった。口を半開きにして黒いコンパネでできた床の上に寝息も立てずに寝ていた。死んだように静かで、完全に眠りの中にいるようだった。昨夜酔ったままに凭れていたイスもろとも床に崩れて、そのままに彼は寝てしまったのだ。さっさと帰ればよかったな、と僕は後悔した。終電頃に駅まで走るのが面倒だった。そしてこんな気怠い朝がきた。だったらそもそもこの場所に来ないことが一番の正解だったんじゃないか、小川くんの寝顔と涎を見ながらそう思った。
体を起こして見渡すと、僕と同じようにここに泊まった人たちがいた。和田ちゃんはその中でも特にいびきを大きくかいていて、気持ち良さそうに寝ていた。数時間前、終電も終わるかぎりぎりに彼は現れて、「まだまだこれから呑むでしょ?」と僕に訊いてきた。あの僅かな悶着がなければおそらく僕は帰れていた。そこで「うーん」と悩んでしまった。その後なくなく僕が席に戻ると、彼は当然だと言わん顔つきでいつも通りタダ酒を小川くんにせがんだ。
そういえば、あのタイミングで逆に山本くんは帰ったのだ。柴田くんもそうだ。彼らはまるで、色々な秘密の暗号を作ってはこそこそといちゃつく付き合ったばかりの中学生カップルのように、終電時間になるとすっと一緒に帰っていった。
僕にはそんな暗号もなければ、終電に帰らなければいけない責任もなかった。責任、この言葉を自分に課す時期はとうとう訪れなかった。自ら選んだ道は成り行きの果て以外の何ものでもなく、意外性も倦怠性もある程度出尽くしたあとで大体の景色が定着した。そしてこの展示室はその定着した景色の1つというわけなのか。
さて真っ暗な展示室の隅っこで寝ているのは東野さんではないか、空間の端に寝るのが最早生き様然とする彼のスタイルは、さしずめ地獄の一歩手前、現世と黄泉の狭間に身を置く琵琶法師のようだ。そしてここにいる琵琶法師の四肢は酒瓶と空のグラスに埋もれていた。
酔いつぶれる前の最後の話は何だったか。おそらくここが潰れる潰れない、みたいな話だったに違いない。何しろ何かまだ煮え切らず気分が重いので、おそらく何か言い争いをしたのかもしれない。
ならさっさと始発に乗って帰ろうとコートを探していると、僕のコートを毛布代わりに格さんが寝ていた。弟の小川くんとは打って変わってこちらは気持ち良さそうに寝ている。それを奪って帰るのも忍びない、というより強引にとって起きられてもバツが悪いと思い、彼が起きるのを待つことにした。
展示室の壁には最後の展示にふさわしく、それぞれの作品がぐちゃぐちゃに貼られている。それらを作品だというには決定的に何かが欠けている。それは美術館やギャラリーのそれらとは何かが違ったし、それは必ずしも悪いと断定できるものではないにせよ、つまるところ中途半端なものに見えてしまっていた。千葉くんは僕のそのような感性をよく諌めた。僕が斜に構えて悲観的に言っているのはナルシズムでしかないと、ここにあるものはれっきとした作品だと、歴史の1つなんだと彼は声高にここに並んでいる幾つかのものを絶賛しそれを周囲に吹聴していた。
僕は確かに悲観に酔いしれるナルシストかもしれない。自分が作ったものを作品と呼ぶことも恥ずかしいと感じる。
朝の光の中にあって、それらがたとえ後年に作品という地位を得ることになるものだったとしても、それらは自己満足の果てに生まれてきたもの、作られる行為、行程の中で達成され果てた残骸のように見えた。そして寧ろそういったものが作品だというなら、僕らは巨大なオナニー大会に参加しているということかもしれない。しかしどうやってその大会に正式参加したのか、未だ僕には分かっていない。
そういえば、小川くんはこの展示の写真を撮ったのだろうか、ここ最後の展示だと息巻いたこの展示は夜に飲み会へと変貌した。酒に溺れて、酒の中にダイブするような飲み会はそれぞれの恨みつらみ、嫉妬、悪口へと偏向し、一人また一人と終電を理由に帰っていった。本当にここができて30年間、何も変わらなかった。結局のところ僕らはひたすらに同じことを繰り返して、そして同じ朝を迎えた。アート、芸術、美術、オルタナティブ、西洋の歴史、アジアの歴史、過去の愛、或いはファミリーアフェア、様々な言葉が酒の中に気泡のように消えていった。残ったものは、今朝も床に横たわってそのまま重力に潰れてぐちゃぐちゃになってしまいそうな僕らの老いた体だった。こんな朝があと何回もきて、そしていつかは誰もがここからいなくなる。そのあとも、ただただこの黒いコンパネの床は作品設置と称してやってきた僕らのような人の重さを受け止める。それの繰り返し。
「あれ井出くん起きてたの?、昨日は面白かったね」、小川くんが口についた涎を拭って起きた。「またこういうのやろうね」とウィンドブレーカーを着込んだ体が重たそうに起き上がる。
「そうだね、またこういうのやろうね」、僕ははにかんで彼のとびっきり無垢な笑顔に応えた。これがここ、こういう歴史の上にある。 

— オンゴーイング10周年本に向けて寄稿したものを2021年に内容を一部改訂したもの
(*文中登場人物 小川くん − 小川希、和田ちゃん − 和田昌宏、山本くん − 山本篤、柴田くん − 柴田祐輔、東野さん − 東野哲史、格さん – 小川格、千葉くん − 千葉正也)