Art Center Ongoing

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オルタナティブ・スペース再考
—Art Center Ongoing開設10周年に寄せて

天野太郎(横浜市民ギャラリーあざみ野主席学芸員)

今回の原稿の依頼を受けた時に、最初に記しておこうと思ったのは、オルタナティヴな機関の盛衰についてだった。1990年代は、ほぼ毎年のように、しかも年数回アメリカに出張していた。その頃は、ニューヨークのマンハッタンだけでもEXIT ART(1982-2012)をはじめ随分多くのオルタナティヴ・スペースがあり、美術館では眼にしないような強い政治的なメッセージの作品等が展示されていたし、盛んにレクチャーや上映会が組織されていた。今では珍しいことではないが、何よりも作家の人種が多彩だった。ホイットニー美術館から離れたマーシャ・タッカー(1940-2006)が1977年に設立したニューミュージアム・オブ・コンテンポラリーアートもその一つだった。ブロードウェイ沿いにあったアート・センター(コレクションは持たなかった)で、いつ行っても親切に対応してくれた。あるいはPS1もそうだった。当時のディレクターだったアラナ・ハイス(1943-)(2008年にPS1を離れ、オルタナティヴ・スペースARTinAIR Clocktower Productionsを立ち上げている)に会いに行ったときは、機関銃のように英語で幾つも質問を受けたことを覚えている。
アメリカの美術館は、1980年代までは、先のホイットニー美術館やニューヨークの近代美術館ですらホワイトタワーと一部から揶揄され、例外はあったものの、アーティストもキュレーターも白人、マイノリティー系の作家や女性作家が積極的に取り上げられることは稀だった。多くの美術館は保守的であったし、旧来の美術史の文脈を堅持するような機関だった。美学美術史の言説を巡るパラダイム・シフトはようやく1980年代に入ってからのことでもあった。だからこそ、文字通り「もう一つの機関」として60〜70年代から徐々にオルタナティヴ・スペースが誕生し始めたと思われる。実際にこれらの機関に訪問すると心地よかった。アジア人の日本人の経験の浅い私のようなものにも普通に接してくれた。
こうした状況、つまり美術館とオルタナティヴ・スペースの共存時代は、恐らく2000年を境にして解消された。無論、オルタナティヴ・スペース側がほぼ絶滅することになる。人手不足ということもあり風邪をおして勤務していながらも、真摯に向き合ってくれたマーシャ・タッカーのニュー・ミュージアムも、今や見事にジェントリフィケーションされたロウアー・イースト・サイドに移転し、ある意味で普通の美術館に変貌してしまった。そして、PS1もニューヨーク近代美術館に取り込まれ独自性は失われた。また、多くの公的美術機関の入場料が25ドルと跳ね上がり、決して行き易い場所ではなくなった。資金調達の困難さ、政治的な圧力等でオルタナティヴなスペースはその存続のためのスキームを失ってしまったのだ。
さて、2017年、この一見穏やかな日本も、特定秘密保護法、組織的犯罪処罰法等の監視社会の強化、普天間移設問題を巡る反対住民への暴力的圧力をはじめ、政治的内容のプログラム実施を公的機関が自主規制をする中で、どうすれば表現活動が保証されるのかが課題となっている。一方で、少子高齢化による税収の減少が確かに公的機関=美術館の予算を脅かし、集客を望めない展覧会の開催が困難になっている。2年前に横浜美術館から横浜市民ギャラリーあざみ野に異動して以来毎年二つの企画展を様々「忖度」せず組織出来るのは有難いが、収入源でもあるギャラリーの有償貸出も、市民の高齢化もあって減少しており、入場料無料、リーフレットも無償配布のサーヴィスもいつまで続くか保証はない。
場を確保し、資金を調達し、何とか表現の場を確保すること、これは、新たなオルタナティヴなスペースあるいは機関への要請のように思える。しかも、その枠組みは、パブリックである必要はない。なぜならもはやパブリックがパブリックとして維持存続させることが困難であるし、むしろ、企業等のプロフィット・セクターが有効なマーケティングとして「公的サーヴィス」を担っているからだ。
あるいは最近の傾向?かどうか分からないが、内容に制限を加えられるのを良しとしないという理由もあって、アーティスト主導で、自分のアトリエやスタジオでレクチャーを主催したりするケースも少しずつではあるが増えている。いわゆる公的な機関ではないスペースでの活動が、ある意味で2017年現在のオルタナティヴな選択の一つのように思える。

さて小川希が主宰するArt Center Ongoingのホームページに、企画展として組織してきた「Ongoing」について、以下のような記述がある。

「『Ongoing』は文字通り「現在進行形」を志向する企画展覧会で、新しいアートのあり方を模索する1970年代生まれの人々が集って同世代の表現者を公募、参加者全員で作品をプレゼン/評価し合い、出展作家を選出するというシステムを基軸にしていました。」

この展覧会は、2002年から2006年の間にまだ小川が特定の場所を持っていなかった時に組織されたものだ。2008年に現在の場所を拠点にして以降は、世代も1970年代に限らず幅広く活動している。
恐らく10年ほど前だったと思うが、小川にどうして財団かNPOのような組織しなかったのか尋ねたことがあった。そんな質問をしたのは、当時は、まだ公的機関の方が良し悪しであれば良し、と思っていた時期だったこともある。小川の答えはシンプルそのもので、「とやかく言われずにやりたかったから」だった。気持ちは理解出来るが、正直なところ継続出来るだろうかと感じたことを覚えている。それだけに、公的な組織を組まずArt Center Ongoingが今日まで存続してきたのは稀有な例だと思う。そして継続することで、Art Center Ongoing出身と言っても良い作家—和田昌宏、東野哲史、井出賢嗣、山本篤、柴田祐輔—を輩出してきたのも特筆されるだろう。実際に、筆者が展覧会に選んだ作家を表して「オンゴーイング一派」ですね、と言われたことがある。
さて一方、今や美術館や大学といったインスティチューションがいかに公的活動の独立性を維持し、かつ資金調達を円滑に行いながら存続して行くのか大きな課題となっている。とりわけ人文系への風当たりが強い中、美術系の組織が次世代のアーティストを支援する存在としてどう社会の中で位置付けられ得るのか、そのための継続可能なもう一つ(オルタナティヴな)のスキームを模索する時期がすでにやってきている。