2008.07.11 [金] - 2008.08.03 [日]
12:00-21:00 定休:月、火 ※7/21(月)open、7/23(水)close
学生の頃、夏が来ると四国にキャンプにいくのが毎年の恒例行事だった。特に親戚や知り合いがいるわけでもなく、あてもなく車を走らせ気の向いた場所にテントを張る。寝床が決まるとまずはその周辺を散歩してみたりするのだが、薄暗いトンネルや、急な坂道、大きな曲がり角なんかを歩いている時に、その横を地元の中学生や若いカップルが二人乗り自転車で通り過ぎたりすると、急に自分の立っている場所が小説や映画の重要な場面の舞台のように感じる瞬間があった。初めて訪れた土地なのに、そのトンネルや坂道で繰り広げられる青春や恋愛のエピソードを想像して、そこが特別な場所のような気がしてくるのだった。

 井出君は、ベニヤ板や垂木、粘土などを使って制作を行う。素材を組み合わせて作り上げた大小のオブジェ群は微妙なバランスを保ちながら配置され1つの作品世界を作り上げる。一見すると、それらは抽象的な彫刻やインスタレーションのようなのだが、近づいてよく見てみると、1つ1つに実に細かい作業が施されているのがわかる。ベニヤとベニヤの継ぎ目や、変化を伴った淡い表面の着色、柔軟な力使いの粘土造形など、井出君の作品は繊細な作業の集積なのである。そうした細かな仕事に注目していくと、それまで見えてこなかった情景がぱっと広がっていくから不思議だ。作品の細部が入口となり、その先に風景が広がっていく感覚。その感覚は四国でのあの経験とどこか似ていたりする。

 最近の作品の記録を見せてもらったら、1つ1つのオブジェは、より断片的、抽象的に変わってきていたが、形態が具体的なものから遠ざかることで、作品の先に広がる風景への入口はなおいっそう大きく開かれているように思えた。今回の展示では、夢で見た風景が作品のモチーフになるのだという。今度もきっと、並べられる作品の細部に彼の夢の中の世界へとつづく扉が用意されていることだろう。その扉を開いて、初めて訪れる風景の中を歩き、その特別な場所で起きたであろう出来事への想像を膨らませようではないか。

Art Center Ongoing
代表 小川希


■■■
7月12日(土) 18:00~
オープニングパーティー


■■■
7月19日(土) 19:00~
夏の夜を感じる日


■■■
7月26日(土) 19:00~
Night theater IDE ー 自作人形劇 ー


■■■
8月2日(土) 18:00~
閉めのBBQ大会
参加費:1000円(お肉代込み)


ide5.jpg

ide4.jpg

ide3.jpg



アーティスト・インタビュー
アピールとしての立体
井出賢嗣
聞き手=小川希


■存在証明=作品

―――僕の印象として、以前の井出君は「物語」という部分をすごく重視して作品を制作していたけれども、最近はまた別の部分に興味が移っているのではないかなと思っていたのですが、本人の自覚としても、制作スタンスは変わってきていますか?

井出 以前の自分がどういう意図で発言していたかはちょっとわからないけれども、最近は作品を観るだけでその背景にある物語を理解してもらうことはできなくてもかまわないと思っています。たぶん表現を捉える際の考え方が変わってきて、物語を伝えることが最優先課題ではなくなり、作品を「自分が作っている何か」としてとして前面に出すことのほうが重要だと考えるようになったんだと思います。今でも作品の背景には、たとえば今回ならば「夢」という、僕しか知り得ない個人的な物語の中の風景によって生まれるイメージがありますが、僕が今、作品で求めているのはその「ディティール」の具現化なんですね。それは自分の作品であるという証明になるものでもあり、それを創出するために僕は今、既視感と戦っているんです。「こういうの見たことある」という感覚を超えるために、物語に限らない「自分しか知らない関係」によって生まれた細部を集積していけば、総体的には「見たことあるっぽいけど見たことない」ものが作り出せるのではないか。今までは作品の中に自分が実際に通って来た道をそのまま作り出そうとしていたけれども、今は作品そのものが重要だと考えているので、作品の形状が自分のイメージしていたものと多少異なっていても、それが自分にとって面白いかどうか、自分にとって面白いと思えるものなのであれば、観る人も面白いと思うチャンスがあるのではないか、と考えながら、ディティールの可能性を形にしていきたいと思っています。

―――井出君の作品は、記憶や夢、拾ってきた端材やベニヤなどの木材……たくさんの要素が絡み合ってひとつの作品を構成していますが、その中で今回もっとも強く作品を牽引している要素はなんだと思いますか?

井出 今回の作品は、夢で見たリフト乗り場と狐の像がたくさん立っている山というのが非常に印象的だったので、とりあえずそれを作ろうと思ってドローイングをしてみたことから始まりました。誰でもそういうインパクトのある夢を見ることはあると思うのですが、僕は今、実体験でも夢でも人に聞いた話でも、イメージとして見たものはすべて同価値で捉えようという意識を持っていて、作品にしてしまえばそれらは全部等価に生きている時間の証明になるではないか、ということが言いたいのだと思います。つまり、俺は生きているんだぞ、だから何もかも見ているし感じているし、それを表現できるチャンスも自由にある、ということを作品を通じて言いたいんだと思う。

―――自分の存在証明を吐き出すために作品を作っているんだ。

井出 そうですね。そんなにちゃんと証明できているかはわからないけれど、そこが一番重要だとは思っています。そこを吐き出すことが、生きている自由を体現することになると思うから。僕はとにかく作っていたいので、「作品を作る」という目的はまず決まっているんです。じゃあそこで何を表現するかと言ったら、より自分が自分であることを表現するためには、生きている中で経験したあらゆる要素からディティールを取って来ることがいいのではないか、と。もしかしたら、すべては「たまたま」なのかもしれない。たまたま僕はこういう考え方を持っていて、たまたま作品を作りたいという衝動があって、それらが出会ってたまたまこういう作品ができた、という。

―――それを吐き出して終わりではなく、人に見て欲しいんですよね?

井出 はい。作品を通じて「これはたぶんあまり見たことないでしょ?」という新鮮さや面白さを他人に提示することができるという意味で、既視感と戦うこと=僕の唯一の社会性だと思っています。

―――新しさへの渇望というか、人をびっくりさせたいという願望がやっぱりアーティストにはあるんですね。

井出 そういう感覚は昔からありますね。いつも親父がドアを開ける前が勝負でしたから(笑)。

―――何それ?

井出 親父がギーッとドアを開ける音がすると、僕は即座に狭い部屋を駆けずり回っていろんなところに隠れるんです。そうすると親父が定例儀式のように手を洗いながら、「賢嗣どこだ? いないな?」とか言って探しだす。で、「ここですよ」「うぉぉ!」みたいな(笑)、そんなことを小さい頃からやって喜んでましたね。人をびっくりさせるということは、それによって自分のすごいアピールになっているわけだから、もしかしたら自己顕示欲の頂点なのかもしれないですね。人の心が躍るような面白いことには常に意外性が伴っているし。

―――実際に井出君の作品には、「こんなの見たことない」と思うような驚きがあるよね。

井出 地味ですけど(笑)。でもやっぱりそこが欲しいですよね。

―――コンセプトよりも驚きのほうが重要?

井出 そう思います。他人にこう感じて欲しいとか考えて欲しいといった狙いはない。だけど以前よりは他人のことを考えるようになったと思います。今まではちょっとでも面白いと思ってくれればいいといった消極的な意識だったけれども、今は作品の新鮮さを提示しようというつもりがあるから。


■立体の魅力

井出 僕の作品が絵でないというのは大きなことで、それがつまり自己顕示欲の表れなのではないかと思います。僕はイメージを立体に起こすことに可能性を感じていて、模型や工作的なものは、見ていても作っている側としても大きな魅力を感じる。僕は絵を描いていると、ありきたりな話ですが、木枠があって白いキャンバスで……という決まったフォーマットに自分の表現を乗せることが嫌で違和感がある。それよりは昔から好きだった模型や箱庭的なもののほうが、作る意思がより強く湧くんだと思います。

―――具体的には、模型や箱庭のどんな世界観が好きだったのですか?

井出 僕の記憶には立体的なイメージが多く残っているのですが、旅行先で見た岩から水が流れている景色も箱庭のように見えて面白かったし、兄貴が小学校の時に作った置き網漁の模型があるんだけど、それを見ただけでもときめいていました。

―――それは具体的にはどんなもの?

井出 箱の中に水粘土で海と砂浜を作って、ネットを張って人を配置してあるような……。

―――渋いね(笑)。

井出 それが超良いんですよ。置き網漁にも興味はあったけど、それ以上にボックスの中に世界が広がっているという感覚にすごく惹かれた。絵画の中にも世界は広がるけど、それが面白いのはわかっても、それほどビビッドなイメージは湧かない。たとえば小学生だったら置き網漁の絵を描く子はたくさんいるけど、あえて立体に起こすなんて、もっと面白いでしょ? 僕の立体への興味は、そういうことなんだと思います。

―――そういう自分の記憶や体感を重要視しているんですね。

井出 それがディティールになるわけですからね。簡単に言えば、自分が個性的な井出賢嗣という人間であることをしかと表明したいということなんだと思いますけど。

―――作品を以てそれを言おうとしているわけだ。

井出 言葉はみんなが使うものだけれども、作品には試されていない方法がいっぱいあるから、個性を発揮する可能性がより多くあるわけです。

―――それが立体であればさらに、ということなんですね。その立体の形態というのは、どういう工程で決定していくのですか?

井出 最初にデッサンはします。でもそれは設計図的なものではなくて、それを形にしていく段階でまた面白い反応にどんどん走っていく感じ。

―――じゃあ建築とは全然違う過程を経て形ができていくんだ。

井出 そうですね。デッサンをする場合もあるし、即興的にいきなり木を切って形を見る場合もあるし、それぞれで作り方は違うけれども。


■人間と作品を信じる

―――井出君は人間性を信じているというか……、何より自分を信じていますよね(笑)。

井出 そうですね。「誰が表現しても同じ」とかいう考え方はわかりやすいし、ある美術評論家と話した時も、今は個人を表そうとすることは求められていない、時代とリンクした自分をフィルターとして時代を捉えることが大切だ、ということを言われたのですが、僕は自分が時代をどう見ているか、ということが一番面白いし重要だと思うんです。時代をうまく反映させた作品なんて面白くないでしょ。

―――社会とか時代を評論するつもりはない、と?

井出 やっぱり人間が面白いでしょ、ということですね。だけど一番重要なのは作品で、いい感じでしゃべる人とか面白いことを言う人とかはいるけれども、言葉にはそんなにディティールはないと思う。でも作品はディティールをいっぱい持っているので、「この作家は面白い」と思わせられるのは、やっぱり作品の力。だから僕はものすごい面白い作品を作るんだ、というつもりで制作をしています。

(2008年6月4日、Art Center Ongoingにて収録)



井出 賢嗣 Kenji Ide

略歴 
1981年 神奈川県生まれ
2006年 多摩美術大学美術学部大学院絵画研究科修了

個展 
2005年 "川によって体から汚れが消えていく" / petal fugal(東京)
2006年 "海の裏側の風景" / 表参道画廊(東京)
2008年 "夢から覚めたら夢だった" / Art Center Ongoing(東京)

グループ展
2005年 "Ongoing vol.04 よんで みて みて" / Bankart studio NYK(横浜)
2006年 "Ongoing vol.05 ヨコハマエクトプラズム" / BANKART studio NYK(横浜)
2007年 "16時間美術館" / AIT 代官山ヒルサイドテラス・スーパーデラックス(東京)
2007年 "アレ地獄" / 青梅織物工場(東京)
2007年 "新公募展" / 広島市現代美術館(広島)
2008年 "Vrishaba through Mithuna" / hiromi yoshii(東京)