2008.04.18 [金] - 2008.05.11 [日]
(会期中、金・土・日のみオープン)
千葉での所用を終えて高速道路で家路へ着く。深夜のため、東京湾を横切るアクアライン入口は、時折白い波が見えるだけの暗闇の大海原だった。そこから長いトンネルを抜け首都高速へ。夜明けまではまだ随分あるというのに、さっきまでの暗闇はどこかへと消え、繁華街の灯りの反射で視界が急速に開けてきた。ふと目に飛び込んで来た看板には‘TOKYO-Met’と記してあった。境界を知らせる標識だ。完全なる人工都市、メトロポリスに突入である。

今回紹介する二人は、我々が生きる世界のリアリティを探り続ける作家である。柴田君は観察する作家だ。彼が目を向けるのは、都市に浮かび上がるイメージの表層群。超無機質な理想を提案するモデルハウスのCG広告や、ど田舎の闇を切り裂き目映い光を放つラブホテル、平和な昼下がりに過度の重装備をして警戒する警察官の後姿。一昔前、私たちを取り囲んでいた日常風景では見ることの出来なかった新しい現実。メトロポリスで目にするのはそんな風景ばかりだ。全てが人工的で、全てが嘘くさく、でもその全てがリアルな現実なのだ。ウソとホントが混ざり合う。

そんな現実に浸っていると感覚が麻痺していくのが普通だが、そんな中、山本君は体で試行することをやめない。彼はこの新しい人工的な風景の中、自らの肉体を手がかりに、文字通りもがきながら、リアリティを必死に掴もうとする。平穏な田圃におもちゃのモデルガンを向け、自ら編み出した謎のスポーツ競技に夢中になり、街中の壁に紙を貼りそれにスプレーで落書きをしたのち剥がして持ち帰る。全く無意味な行動をしているように見えるが、ふと現代の私たちの姿そのものを見ているかのような錯覚を覚え、ドキリとさせられる。無意味と意味が混ざり合う。

閑話休題、メトロポリスとは一体何処のことなのか。標識が示した境界の内側? いや違う。それは特定の地域ではなく、今我々が生きている世界そのものだ。この人工都市=メトロポリス=現代に生きることのべらぼうさを、二人の作品は暴きだす。肯定するのでも、否定するのでもなく、ありのままをデロリと。

Art Center Ongoing
代表 小川希


■■■
4月19日(土) 18:00~
オープニングパーティー

■■■
4月26日(土) 19:00~
山本篤 The Untitled Bluegrass Band with an artist LIVE

■■■
5月3日(土) 19:00~
柴田祐輔パフォーマンス 記者会見ディスコ

■■■
5月5日(こどもの日) 19:00~23:00
Ongoing 映像祭 2008

■■■
5月11日(日) 18:00~
クロージングイベント「メトロポリスリターンズ-展示替えと休憩、待ってんだよ俺たちは-」

metro1.jpg

metro2.jpg

metro3.jpg


アーティスト・インタビュー 04
メトロポリスで〈愛〉を〈紐解く〉
山本篤
柴田祐輔
聞き手=小川希


■べらぼうな現実に対峙して

―― お二人の作品には、共通するキーワードとして「リアリティ」という言葉が挙げられると思うのですが、僕はそれは「一世代を超えたリアリティ」なのではないかと思っているんです。いわゆる社会的/個人的なリアリティの範疇を超えて、今のこの時代を生きることそのものの茫漠とした現実感を掴み取ろうと希求して制作しているような印象を受けます。

柴田 確かに山本さんの作品を見ても、僕たちの場合はいわゆるリアリティとは違うところにあるものを求めていて、それを「リアリティ」と言っちゃっているのかもしれませんね。

山本 僕はちょっと前までは本当に「リアリティ」という言葉を自分の作品の隣に置いていたんですが、ちょっと恥ずかしいけれども最近は、もしかしたら自分は現実というものを愛している、もしくは愛そうとしているんじゃないかと思うようになりました。柴田さんの場合も、自分の想像からこぼれ落ちてしまうようなデタラメでべらぼうな現実を目の前にして、それを許容して愛するために、作品として自分の中に取り込んで表現をしているような気がします。

柴田 僕には、現実を目の前にすると「現実か?虚構か?」なんて問いそのものが脱力しちゃうというか、すでに圧倒的な存在としての現実がそこにあるので、現実/虚構という問い自体が不毛になって、なすすべもなく笑っちゃうような現実感覚があるんですね。例えば24時間のエンドレスで止められないサイクルというものがあって、僕たちは単純な善し悪しを基準に「コンビニはダメだ」「マックはダメだ」なんて言うことはできず、「だってマック旨いもん」というところにすでにいるんじゃないか。そのヤバさは知っていて理性で押さえつけようとしても、圧倒的で大きな力を前に、それを止めようという行動にはどうしても及べない。だから、それを愛そうというか、なすすべもなく「だってマック旨いもん」という感覚になってしまうんですよね。

山本 僕が柴田さんの作品に思うのは、自分の中にある世界を絶対に表現したいというのではなくて、外部の世界に反応した自分を抑えきれないというか、自分で火をつけるのではなく外部に駆り立てられるような感じのモチベーションが制作に対してあるのではないかということなのですが。

柴田 それは僕はむしろ山本さんに感じていることです。以前、僕は山本さんを「健康的な変態」という言葉で表現したことがあるのですが、山本さんの作品は衝動そのもの。自分がいかに変かというところで勝負している人たちのような底の見えた変さではなく、すごく健康的に変態なところが、山本さんの一番ヤバいところなんですよね(笑)。

―― 山本さんはやっぱり、思いついたらパッとやってみちゃう、みたいな衝動的なモチベーションで制作をしているのですか?

山本 思いついたら……やってしまいますね(笑)。ただ、そうやって思いつくまでの過程で、自分が今まで思い込んでいた世界とはまったく違った現実を目の前にした時に、自分の現実というか世界観を更新する必要を感じることがあって、そういう現実の「べらぼうなもの」に自分が何かリアクションしなきゃいけないという感覚を作品に繋げていっている部分もあると思います。でもそれは意識的ではなく、日常生活で自然と感じる世界への無力感とか閉塞感の中で薄々考えていることが蓄積して、突然ポンと作品として出てくることが多いですね。だから、作品としてジャンプをするための地ならしは常にしているんです。

柴田 その作品の起こし方というのが、すごく健康的なんですよね。だけど、とても切実に、健康的に立ち向かったが故に変態になってしまう。僕にはその変態性がすごく信用できるんです。



■作品をジャンプさせる

山本 僕は柴田さんとは現実を見る感覚が近いような気がするのですが、作品へのアプローチとしては、僕はどちらかというと触感とか身体的な感覚から生み出しているのに対し、柴田さんはもっときわどいエッジの上で戦っているような気がします。

柴田 自分の中では、(作品が)いわゆる「わかりやすいわかりにくさ」みたいなところに陥ってしまっているのではないかという危機感が常にあって、要するに、何でも過剰に持っていけばある程度「作品っぽいもの」になってしまうというか、トゥーマッチな方向で作品を見せるというのは芸術の正攻法だし、「わかりにくい」という部分がわかりやすく見えてくるような見せ方は見飽きている。だからもっと切実な、作品になるかならないかスレスレのところに作品を落とし込むことが、自分にとっては一番しっくりくるんです。「作品っぽいもの」になると安心感はあるのですが、自分のやりたかったことからは遠くなってしまうし、もっと自分が面白いと思うその一点スレスレに迫りたいというか、なかなかできないけれども、「わかりやすいわかりにくさ」のもっと先のところで仕事ができないかという意識を常に持っています。

―― 制作時に、観客=他者の反応については考慮しますか?

山本 僕の場合は、エゴかもしれませんが、まずは自分に向けて作っているところがあって、制作を続けること自体にも意味を見出しているし、客観性という他者の視点も自分で仮想して組み立てていくものなので、まず他人の目を意識して自分の感覚とちょっと違うようなものを作るより、本当に自分の人生までもが変わってしまうような衝撃というかリアリティを持った作品を作ろうと心掛けています。

柴田 それがさっき山本さんが話していた「作品をジャンプさせる」ということだと思うんですよね。相手がどう反応するかとかいったことではなく、作品を自分の手の届かないところにまで飛ばして置いてしまう。そういう場所で作品を成立させられないかということについては僕も同じようなことを考えていて、(作品を通して)何かを相手に伝えたいというような意識はゼロに等しくて、自分の手の届かない場所に作品を置くことができたら、それでもう満足なんです。

山本 柴田さんもたぶん現実の多面的な部分を意識しているのではないかと思うんだけれども、例えばひとつのコンセプトをガチッと固めたメッセージ性の強い作品を提示して、観客がそれをわかりやすく理解してしまった場合には、その作品はその時点でもう終わってしまうんじゃないかと思うんです。そういうものを作りたいのではなく、柴田さんがドン・キホーテが好きなように、おぞましい部分もすべてぐちゃっと入り込んじゃっているような現実そのものを受け取って、それをそのままトランスレートしたいだけなんじゃないかなと僕は思っていたんですけれども。

柴田 ドン・キホーテのあの圧倒的なヤバさはまだなかなか作品にできませんが(笑)、いずれどうにかして作品化したいと思っています。



■メトロポリスで会いましょう

―― 新宿の東口には大きなドン・キホーテが2店ありますけれども、あの辺りには西新宿のオフィス街とはまったく異なる直截的で混沌とした生々しい空間があります。今の東京というのは、ドン・キホーテが象徴するような、奇形のように育ってしまったと言えるくらい圧倒的な現実が凝縮された街ですよね。そういう都市で制作をするということは、やはり刺激的なことですか?

山本 そうですね。東京のような「べらぼうな現実」がなく、いわゆる理想的な平和が実現している世界に自分が置かれた場合に何を表現していくのかということは、自分でも気になるところです。僕の作品には「包み込むこと」と「解放すること」という二つの方向性があるんじゃないかと思っています。それはつまり、べらぼうで変態的なことも許容し自分自身が愛せるようにするという方向性と、常識とされていることや、すでに決定済みと思われていることから自分自身も観る人の一部も解放できるような方向性、という二つの方向性です。おそらく普通の人であれば影の部分というか、なるべく意識しないようにしているところをフォーカスして、なおかつ「愛そう」としているんじゃないかとも思うんですよね。

柴田 そこで「愛」を持ってくるというのは面白いなあ(笑)。僕の作品は、実はどちらかというと生々しい空間よりもむしろオフィスのほうに向いていて、その建前がどうやって作られているのかについて解体するという方向に向かっていると思います。オフィスで「それっぽいもの」というのはなぜ「それっぽく」見えるのか? そもそも「それっぽさ」とはなんなのか? そういう構造のひとつひとつを紐解いていくようなことを作品にしています。それが「愛」なのかどうかはわからないですけど(笑)。

―― そこには、その裏にあるものを暴いてやろうという意識があるのですか?

柴田 暴くという気はさらさらありません。やっぱり「紐解く」という感じです。僕は大学院を卒業してからずっと、工事現場に荷物を入れる荷揚げの仕事をしていました。コンクリート打ちっぱなしの状態から外壁ができて建具を入れるまでの工程の最初から最後までに携わっていたのですが、その過程で、本当に何もなかったコンクリートに壁紙を貼ったりすると、そこがオフィスや家という方向にグーッと引き寄せられちゃうんですよね。でもそれって、あの時に職人さんがニコニコこっちを見て「がんばってね~」とか言いながら貼っていた「あの表面」によって構成されているわけです。だから、僕たちが見ているものというのは全部表面なんじゃないか、そうであれば表面はなぜそっちの方向に行くのか?という、表面の演出の方向に僕は興味を持っています。

山本 僕はたぶん大久保とかのヤバい雰囲気はすごい好きなんですけど、作品ではそっちは意識的に回避しているところがあると思います。もう誰が見てもヤバいというようなところは、さっきの話で言えばトゥーマッチというか、もっと何気なく目にしている日常の中に潜むヤバさとか危うさを求めて、何気ない風景の中にカミソリを仕込むような制作をしたいと思っています。

―― 今回の二人の展示は、同じ新宿の中でも西/東というような感じで、近しいながらもまったく異なる二つの方向に分かれたものを捉えようとするような展示になれば面白いですね。

柴田 こんなことを言っておいて、僕も大久保方面に行くかもしれないですけど(笑)。

―― そして『メトロポリスで会いましょう』ということで(笑)。

(2008年3月25日、Art Center Ongoingにて収録)




山本篤 Atsushi Yamamoto
作家ホームページ : http://atsushiyamamoto.com/

略歴 
1980年 東京生まれ
2003-2005年 ドイツ/ベルリンにて制作活動

個展 
2006年 "NIGHTWALKER" / petalfugal(東京)
2007年 "LIFE AND ENTERTAINMENT" / petalfugal(東京)

主なグループ展
2004年 "DZUGUUN" / garelie DZGN(Berlin / Germany)
2004年 "USUAL SCENE" / club cafe pollux(Berlin / Germany)
2004年 "ab C." / danziger46(Berlin / Germany)
2005年 "VIDEO SESSION" / petalfugal(東京)
2005年 "東京コンペ#2" / 丸の内ビルディング(東京)
2005年 "Ongoing Vol.4 よんでみてみて" / BankART Studio NYK(横浜)
2005年 "群馬青年ビエンナーレ" / 群馬県立近代美術館(高崎)
2005年 "DZUGUUN" / garelie DZGN(Berlin / Germany)
2006年 "風呂屋劇場" / 才ノ神浴場(直島)
2006年 "EROSION" / petalfugal(東京)
2006年 "Ongoing Vol.5 ヨコハマエクトプラズム" / BankART Studio NYK(横浜)
2006年 "百花繚乱" / boiceplanning(相模原)
2006年 "DZUGUUN" / garelie DZGN(Berlin / Germany)
2007年 "mex" / Kuenstlerhaus Dortmund(Dortmund / Germany)
2007年 "アレぢごく" / 青梅織物工業共同組合敷地内(東京)


柴田祐輔 Yusuke Shibata

略歴 
1980年 福岡県生まれ
2005年 武蔵野美術大学造形学部油絵学科卒業
2007年 武蔵野美術大学大学院美術専攻版画コース修了

個展 
2004、2006年 / 西瓜糖(東京)
2007年 "知らない祭" / petalfugal(東京)
2008年 "クロマキー" / 西瓜糖(東京)

主なグループ展
2004年 "三時展" / Gallery Barco(東京)
2005年 "8" / Bumpodo Gallery(東京)
2005年 "全国大学版画展" / 町田国際版画美術館 *買い上げ賞(東京)
2006年 "風呂屋劇場" / 才ノ神浴場(直島)
2006年 "全国大学版画展" / 町田国際版画美術館 *買い上げ賞(東京)
2007年 "武蔵野美術大学 修了制作展" / 武蔵野美術大学 *優秀賞(東京)
2007年 "三人展" / 養清堂画廊(東京)