2009.07.15 [水] - 2009.07.26 [日]
12:00-21:00 定休:月、火
 小さい頃、UFOや幽霊や超古代文明など、現代の科学では解明できない不思議な世界が大好きだった。現在でも少なからず興味はあるけれど、当時は本当に熱中していて、そういった関連の書籍を読みあさったものだ。今思えば怪しい本ばかりだった気もするが、中でも数々の不思議をビジュアル満載で紹介するムック本がお気に入りで、写真やイラストがたくさん載ったカラーページを開けば、後の細かい説明文などを読まずとも、宇宙や先史時代の未知なる文明に想像を馳せることができ、ひとり興奮を覚えるのだった。

 サダヒロさんは個人の作品をはじめ、イラストや本の装丁、ポスターやロゴマークのデザインなど、幅広い分野で活躍するアーティストである。どんな仕事であれ、一目見ればサダヒロ作品だとすぐにわかるのだが、そんな彼の作品を特徴づけているのは、ビジュアルの端々に漂う「謎」を含んだイメージであろう。それは、何かの予言や暗示のように見える時もあれば、秘密の発明の設計図のように映る時もある。いずれにせよ、いつだってサダヒロ作品には、観る者を惹き付ける「謎」が漂う。そしてそれは、小さい頃私を捉えて離さなかった不思議な現象を紹介するあのビジュアルの数々と相通じるのであった。

 例えば抽象画は、そこに何が描かれているのかがはっきりしないという意味で、どれもが「謎」を含んでいるとも言えるが、それが人を惹きつける「謎」なのかどうかは、当然その作品次第である。抽象画に限らず、現代の美術作品は「謎」を含んだものだらけだが、そのほとんどが、観る人の足を止めることさえできない独りよがりの「謎」ばかり。逆に、過度にわかり易い表現もここ最近は蔓延しているけれど、それはそれで人を惹きつけるものかどうかは怪しい。観る者の好奇心を煽るような「謎」を作品の中に忍びこませるのは実は案外難しいのである。

 当然だが、「謎」は解けてしまえばその効力を失ってしまう。サダヒロさんは以前、自分は言葉で作品を作るタイプの作家ではないと話してくれたけど、そもそも彼の作品の「謎」に明確な答えなんて用意されてはいないのかもしれない。宇宙でも古代文明でもない、大人になってから出会った芸術という大きな「謎」へと続くサダヒロ作品の数々は、だからこれからも解き明かされることなく、私を魅了し続けてくれるだろう。

Art Center Ongoing
代表 小川希


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7月18 (土) 19:00~
オープニングパーティ―


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7月19日 (日) 15:00~16:30
Pre Ongoing School
作家本人による展示作品の解説を交えてのレクチャー。
お好きなケーキとお飲物がついてきます
料金:1500円 (ケーキとドリンク付き、先着30名様)


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7月25日 (土) 18:00~
Live&Painting サダヒロカズノリ×秋福音(akifukuin) 
出演:秋福音
入場料:1000円 + 1drink order
秋福音の奏でる音楽に合わせて、ライブペインティングを行います。演奏時間:45分程度

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アーティスト・インタビュー
進化して回帰するアート×デザイン
サダヒロカズノリ
聞き手=小川希


■■変幻自在の根無し草!?

――― サダヒロさんというと、アイボリー色の地に黒で描かれた平面作品を第一に思い浮かべるのですが。

サダヒロ ピカピカの新しいものより、ちょっと色あせてくすんだものが元々好きで、ああいう色使いになっているんだと思います。絵は色と形という二つの大きな要素から出来上がっていると思うけど、僕は、形の方にずっと重きを置いていて、描いているものの形がしっかりしていれば、色はなんでもいい気がするんです。だから徐々に色が省かれていき、今の白黒に近いようなスタイルになってきたのかもしれません。

――― サダヒロさんの描きだす形は、「何か」を描いているようでいて、実際それが何かはっきりとは解らない。我々が生きているのとは異なった文明の図柄のような印象を受けたりします。ああいった形のインスピレーションは一体どこからやって来るのですか?

サダヒロ 昔ある先輩に、イラストレーターになりたかったら、女の子とかサラリーマンとか水着で寝ている人とか、そういうのを全部具体的に描けるようにならないと仕事にならない、みたいなことを言われたんです。その時、自分はそういうのは嫌だなと思って。ものを具体的に描くだけだとどこかつまらなくて、もっと表面に見えないものを描きたくてね。例えば、誰か人を描くにしても、人間としての本質的な形とか中身みたいなものを絵にしたい。だから、抽象的で曖昧な現在のような作品が生まれくるんだと思います。

――― 一枚の絵を描く際、あらかじめ描くものを決めてからそれに着手しますか?

サダヒロ 若い頃はホントに好きなように描いていたから、絵の表面的な見え方はどんどん変わっていった気がします。例えば、黒く塗っていた絵を上から白く塗ってみたり、構図が悪いと思ったら上下をひっくり返して続きの絵を描いたりとか。でも今は仕事の依頼でものを作ることがほとんどだから、自由に作るということは逆に出来なくなっている。ただし、僕はクライアントのオファーにちょっとした変化球で返したいという願望がいつもあるんですよ。あるものを描いてと言われたら、それをひねって違う角度から描こうとする。そういう点では、自分の作品をある程度好きなようにコントロールしてはいますけどね。

――― では、今回のような個展などでの発表の場合には、どんな姿勢で臨んでいますか?

サダヒロ クライアントと一緒に仕事をしている中でも、たまたま見つけた面白い表現があったりするんですよ。それを必ず記憶していて、個展などでしっかりした形で発表するようにしています。

――― 表現のアウトプットを仕事と個人的なものとで分けているんですか?

サダヒロ いや、それほど分けてはないと思いますよ。僕の考え方って、グチャグチャな感じなんで。自分がアーティストとして表現するか、デザイナーやイラストレーターとして表現するか、そういう出力のされ方は、変な言い方ですが、僕の場合、自分ではなくクライアントが決めているんですよ。相手がサダヒロカズノリのアートの部分を欲しがっている時には、僕はアーティストになって表現するし、デザイナーの資質を欲しがっているときは、デザイナーのフリをする。まあ全部フリなのかもしれないけどね(笑)。本気のアーティストの人が見たら怒られそうな気もするけど、僕はどちらかというと変幻自在というか根なし草のように、人に言われるがまま自分の出来る限りの表現をしています。面白いのは、デザインの世界ではアート的なデザインを欲しがったり、逆にアートの世界ではデザイン的なアートを欲しがったりする人がいて、僕はそういった職種を交差させるのが割と出来たりする。でもトンチとか知恵でそうしたことをやっているわけではなく、そうゆうのが単純に好きで、逆に一つのことを一本調子でやるのは、揺らぎがなくて面白く感じられないんですよね。


■言葉が生まれる前の世界

――― 自分の作品をこんなふうに見て欲しいといった希望はありますか? 例えばタイトルなどで、作品にある方向付けをしたりだとか。

サダヒロ 僕は、タイトルなんてなくていいのなら、その方がいい気がしている。そもそも、ものに名前がつくのはなんでなんだろう?って思ったりもするんです。自分がやっているのは視覚芸術であって、目で観て楽しむものだから、言葉は付かなくてもいい気がして。

――― 作品のコンセプトみたいなものも必要ないということでしょうか?

サダヒロ 確かに、作品のテーマを文章で見せなければならないこともありますけど、僕は見たままの面白さを純粋に感じてもらいたい。だから作品のコンセプト云々っていうところにできるだけ入り込みたくないというのがあります。

――― 作品の見方は、観る人に委ねると?

サダヒロ 難しい問題ですよね。ただ、最終的に言葉に回収されてしまうのが悔しいんですよ。やっぱり絵なので、最後まで目で伝わるいい方法がないかといつも思っている。アートにはコンセプトが一番重要、みたいな考え方があるでしょう。でも僕はそれだけじゃ嫌なんだよね。言葉ではないことをしたくてこの職業を選んでいるつもりなので、そっちには行きたくない。僕の場合、作る行為自体が手遊びの連続みたいなものなんです。色を塗ってないところを塗ってみたりとか、ちぎったものを貼ってみたりとか、子供の頃から遊んでいるようなことの連続でものを作っている。その結果、出来上がった作品をいくつか並べて見た時に「自分はこういうことに関心があったんだな」みたいなことが後になって初めて言葉になる気がします。

――― 実際、コンセプトを後付けのようにして用意する作家は多い気もしますね。

サダヒロ コンセプトと出来上がった作品そのものの関係はもちろん気にはなるけど、僕はそういうしがらみを突き抜けたところで作品がただ単にポツンとあったらすごいと思うんですよ。意外かもしれませんが、学生の頃はコンセプチュアルアートがすごい好きだったんですよ。作品が一つあって、それに対しての大量の難解なテキストが用意されているみたいな世界に陶酔していたんです。「こんなインテリジェンスな世界があるのか!」ってね。美しいものを単純に作るのではなく、何かの考え方を作品化する、それは人間のやっていることの中でも相当レベルの高いことなんじゃないかと思って興奮していたんです。だけどそうした表現をずっと見続けたり、それを真似て自分でも作ろうとすると、どこか作品が堅苦しくなって、考え方も広いようで狭くなってしまい、限界を感じたんです。あと、大した作品でなくても、テキストさえ用意すれば完成みたいになると、作る面白さがなくなってしまうような気もして。このまま行くと、ただ考えるだけの人間になってしまうと焦ってしまった。そういう経験があるから、コンセプトとか言葉から離れたいという気持ちが潜在的にあるのかもしれません。

――― 絵描きの人には「やはり言葉じゃない」という人が多いですよね。

サダヒロ 考えるのは難しいし、それは逃げ口上かもしれないんだけどね(笑)。ただ僕がすごく気になるのは、言葉を発明する前の人間はどうやってものを見たり感じたり認識していたんだろうということなんです。その頃にも人間は何かを作ったり、美しいと思っていたはずでしょ。それぐらい太古に戻りたいと言ったら変ですけど、言葉に頼らなくても美しいものは存在し、人は何かを作り、それに心を揺り動かされる気がするんです。

―――そう言われるとサダヒロさんの作品は太古のようなイメージを感じさせますよね。

サダヒロ やっぱり関心があるから、それがちょっと出てきているのかもしれませんね。自然の風景や、細胞や、原始的な形とかがね。


■アート≒デザイン

―――サダヒロさんの作品にはいつも「謎」みたいなものが含まれている気がするんですよね。

サダヒロ それはそうかも。僕は、作品がその作者の考えていること全てを語り尽くすのは鑑賞者に対して失礼な気がいつもしていて。作家は50%を持ち出して、鑑賞者は自分の持ってる感性の50%を持ってきて、それが合わさって100%になって何かが生まれるのが一番理想だと思うんです。もちろん、作る側の割合がもっと大きくなる場合もあるだろうけど、それでも作品を100%作家の考えにしてしまっては駄目だと思う。それは、相手の存在を無視しているのと同じだから。だから、必ず僕の作品の中には「謎」の部分を入れておいて、続きを観る人に考えてもらって完成みたいなことをしているのかも。

―――それは面白いですね。作品を100%コントロールできてはじめて完成みたいな作家が多い中、そうじゃない方向性を、しかも意識的にしているのは珍しい。

サダヒロ そうですかね。おそらく僕の言ってることはデザイン的な考え方が多分に入っていて、それがアートの視点から見ると少し珍しく感じるだけだと思いますよ。ただ僕は、アートとデザインは共にプロフェッショナルになっていくと、どこかで混じり合う時がある気がするんですよ。デザイナーでも、良い仕事を沢山して自分の表現を追求していけば、その目が鋭くなり過ぎて、仙人のようになっていく。元々デザイナーという職種は、世界の人に押し並べて有益になるように働かなければいけないはずなのに、あまりにものを見つめてそのことを考え過ぎると、世間から浮き出てしまうことがあって、その浮き出た部分がすごくアートに近い気がするんです。逆に、アーティストの場合も、若いうちは自分の為だけにものを作っていたとしても、作ってきたものが評価され必要とされるようになってくると、社会の為に自分の能力を還元しなきゃいけなくなる。でもその社会への還元という行為は、つまりはデザインということですよね。デザイナーは突き詰めればアートになり、アーティストも最後はデザインの仕事を始める。だからその二つの区切りというのは実はない気が僕はしていて、アートかデザインかなんてことに固執している人は、まだまだ経験とか実力が足りないんだと思うんです。精神的なレベルの高さは、自分の価値観を大切にして、それを最後には人に配っていくことで生まれるのだと思うし。表現者としてここまでわがままに自由に生きさせてもらえてるのは実は社会が寛容で、いろいろな恩恵を与えてくれているから。やはり、人生の後半は今まで頂いたものを返さなきゃいけない。そうじゃないとここに居続けることなんてできないから。アートかデザインかなんて分けることのできない、どちらでもあるものを作ること、死ぬまでにそこになんとかちょっとでも近づきたいと僕は思っています。

(2009年5月25日、Art Center Ongoingにて収録)


サダヒロカズノリ Kazunori Sadahiro

略歴 
1969年 山口県生まれ

個展 
2008年 "play-play"/ ユメアート(東京)
2007年 "本木林森"/ 国立本店(東京)
2006年 "表現チャンネル"/国立本店(東京)
2004年 "deep forest"/ (シンガポール)
1997年 "さいごに残ったふたつの眼。"/ (東京)
1996年 "SHAPE-2"/ ギャラリー週刊アート(宮城)
"もうひとつの風景"/ デジタローグギャラリー(東京)
1995年 "SHAPE"/ ギャラリー日鉱(東京)
1993年 "evidence/science"/ 東京ガス新宿ショールーム(東京)
1992年 "ARTIFICIAL BEAUTY"/ グリーン コレクションズ マルチプル(東京)

受賞歴
2007年 ユナイテッド・シネマ前橋 グッドデザイン賞(建築・環境デザイン部門)
2004年 ファッションドローイングビエンナーレ 2004 特別賞
2003年 ハートランド 軽井沢ドローイングビエンナーレ 2003 入選
1996年 第14回 JACA 日本ビジュアル アート展 特別展   特別賞
1994年 1994 ディスプレイデザイン賞  ディスプレイデザイン優秀賞
1993年 第6回 毎日デザイン賞  奨励賞
    アジアン アート ビエンナーレ バングラデシュ 1993 優秀賞
1992年 第1回 東京ガス リビング アート コンペティション 大賞
    第10回 JACA 日本イラストレーション展  大賞
    アーバナート#1  リナシェンテ賞
1991年 東京ガス カレンダーイラストレーション展  カレンダー賞
    第9回 JACA 日本イラストレーション展 銀賞
    第5回 From A THE ART ペインティング&イラストレーション部門  大賞
    第12回 日本グラフィック展   協賛企業賞


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