2009.04.01 [水] - 2009.04.12 [日]
12:00-21:00 定休:月、火
 まだ小学校にあがるかあがらないかの頃、ほんの些細なことで母親に小さな嘘をついた。辻褄の合わない嘘だったのでいろいろと追求されたが、その嘘をつき通すために架空のストーリーを創造し、最後は母親を納得させてその場をおさめたのだった。誰一人として損も特もしない実に下らない嘘だったのだけれど、それを成り立たせるために自分の口をついて出たストーリーが妙にリアルなものだったので、記憶に残っていた。それは本当にあったことなんじゃないかと思えるくらいに。今回の中崎君へのインタビューを終えた後、その時の記憶がふと思い出された。

 中崎君の作品は、ビジュアル全盛の昨今の日本の美術状況の中にあって異彩を放つ。彼のこれまでの作品をまとめたポートフォリオを見ても、どれが作品なの?と尋ねたくなるようなページが続く。所謂フォトジェニックな作品が少ないのだ。代表作の看板をモチーフにした作品にしても、表面のイメージはどれも上手いとは到底いえない素人風のタッチで描かれている。もちろんそれは意図されてのことであって、彼の興味は作品の表面とは違う場所にあるのだろう。

 表面とは違う場所とは即ち、作品のコンセプトであって、中崎君がコンセプチュアルアーティストかといえば、その範疇もどこかしっくりこない。なぜなら、彼の作品はある特定のコンセプトを伝えるために制作されているようには思えないからだ。むしろ制作の動機はダジャレのような言葉遊び(彼の作品に多く見られるように)でも十分で、中崎君が重要としているのは、それがキッカケとなって生まれる感情や出来事や関係性なのだと思う。ほんの些細なことからある特殊な状況が作られ、そこにドラマが生まれる。このプロセスにこそ中崎君の作品の醍醐味が存在するのだ。あの日の記憶が思い出されたのは、おそらくその構造が見えたおかげだろう。

 つまるところ、中崎君が完全にコントロールして作り出すのは、「キッカケ」にすぎないのかもしれない。そこから事が転がりだし広がりを見せていくのなら、その「キッカケ」はくだらないことであってもフィクションであっても、あるいは全くの嘘であっても構わないのである。図らずも本展示の初日は4月1日。今回、彼が用意する気の利いた嘘は、どんなドラマを生むのだろうか。些細なことから起きる劇的な出来事。その言葉の響きと同じように、中崎君の作品からはいつも青春のかおりがする。

Art Center Ongoing
代表 小川希


■■■
4月1日(水) 18:00~
opening party
「エイプリルフール」
※気の効いたウソを持参して下さい。


■■■
4月4日(土) 18:00~
Talk Saturday
「こんなメンツでビール片手に話したらおもしろいかな、と思って。/その1」
出演:下道基行(愛知)×竹久侑(茨城)×小川希(東京)×中崎透(茨城)
入場料:1000円(ワンドリンク付き、先着30名様)


■■■
4月5日(日) たぶん13:00くらいから たぶん会費1500円くらいかも
キロ花見@井の頭公園
ongoingで地図を受け取って井の頭公園に向かうと途中に作品があるかもしれません。


■■■
4月11日(土) 18:00~
Talk Saturday
「こんなメンツでビール片手に話したらおもしろいかな、と思って。/その2」
出演:山城大督(岐阜)×野田智子(東京)×中崎透(茨城)
入場料:1000円(ワンドリンク付き、先着30名様)


■■■
4月12日(日) 15:00~
Pre Ongoing School
作家本人による展示作品の解説を交えてのレクチャー。
お好きなケーキとお飲物がついてきます
料金:1500円(ケーキとドリンク付き、先着30名様)

nakazaki01.jpg

nakazaki02.jpg

nakazaki03.jpg



アーティスト・インタビュー
虚と実の綱渡り
中崎透
聞き手=小川希

■物質から概念へ

―― 中崎さんはここ数年、看板をモチーフとした作品を制作されてきましたが、僕はそのテーマの中心が、看板という物質的な存在からNadegata Instant Party(中崎透+山城大督+野田智子)によるプロジェクトのような概念的なところへと徐々に変化していっているような感じを受けています。

中崎 看板の作品を始めたのは、素材として面白いと思ったのがきっかけです。けれど、看板をモチーフとして多くの作品を作っていくうちに、「看板」という存在自体に内在する問題が徐々に見えてきました。それと共に看板そのものではなく、表面に現れているイメージと実際の意味の差や画面の中に言葉が入っていることやホワイトキューブではない場所であることの意味といったいくつかの別の方向へ、興味が少しずつシフトしていきました。ただ、看板というモチーフ自体は自分が慣れているし、それらの興味を併せ持って表現しやすい媒体であるのもたしかなので、今も状況をみて継続的に制作しています。

―― これまでの看板の作品を見ると、絵やデザインに統一感はなく、一目見ただけでは同一の作者が作っているとわかるようにはあえてしていないように感じます。統一した作風で何年も作り続ける作家が多い中、そうした中崎さんの制作スタンスは少し特殊にも思えるのですが。

中崎 「看板=中崎」って感じに観られていったら楽だろう、便利だろうと思って、最初は意図的に看板作品を制作していたんだけれども、実際にそうしたイメージが固定されていくに従って、本当の自分の興味は看板自体ではないんじゃないか?みたいな感覚が出てきたんです。固定された作家のイメージ、例えばある特徴的な絵を描く人とか、特定のマテリアルを使う人とか、そういう認識のされ方は自分が制作するスタンスとしては不自由な感じがしてきて。だから最近は看板だけでなく、意図的にいくつかのチャンネルを使い分けていたりします。例えばユニットを組んでプロジェクトをするとか、アートスペースを運営するとか、看板作品を継続して制作するとか、あるいはそうではない作品とか。その全部をひっくるめて一人のアーティストとして最終的に見えてきたらいいなと思っています。あえて多重人格的な気分で作っているところがある。ただ、それぞれのチャンネルに対しては自分の興味に真摯に向き合っているつもりですが、それらの作品を同一線上に並べてみると、それぞれが矛盾していたり、お互いに足を引っ張りあっているように見える場合もあります。それは観る人にとっては不親切なことかもしれないけど、この状態をもうちょっと詰めていくうちに、一つの固有の形になっていくんじゃないかなという予感がしています。一人の人間って、矛盾だらけで、つじつまなんて合わないのが自然なんじゃないかなと。

―― ユニットやプロジェクトとして人との交流の中で何かを見出していく表現であれば、美術というフィールドに固執する必要性は希薄になると思うのですが、中崎さんの場合はそこをあえて「美術」にこだわって発表を続けているように見えます。

中崎 それはありますね。美術ではないところへ行こうとするベクトルは常にあるんだけど、あくまでもそれは美術が前提になっているんですよね。以前、選挙宣伝みたいなパフォーマンスをしたり、仮装して横浜トリエンナーレに出かけるという作品があったんですけど、そういうのを美術という意識なしでできるかと言われたら、やっぱり興味が湧かない。美術の世界で何かをやる、ということが自分の中での一つの基準ではあるんだと思いますね。消極的だって言われそうですけど、だって美術は好きですからね。他人と一緒にやる時は、自分じゃなければできない物質的に特化した何かっていうのは結構どうでもいいと思っていたりするかもしれません。いや、最近は一人の時もそうかも。例えば看板の内容にしても、絶妙なショボさがあることがすごく大事だったりして、むしろそこに辿り着くまでのプロセスやシステムといった部分が一番見せたいところだから、表層として表れる部分は良すぎず悪すぎず極力ストレスなく観られるものであることが望ましいと思っています。人と一緒にやる時に僕じゃない誰かが作っていたとしても、要はそこに至るまでのシステムと仕上げる時のちょっとした配列だったりレイアウトにちゃんとタッチ出来さえすれば、自分の望むような作品に最終的に落とし込めるんじゃないかなと思ってます。もちろん、その過程で何らかのハプニングが起きてしまうことも最初から想定はしています。そうしたスパイスが入り込んでくることがすごく刺激になったり、その作品が出来上がっていく時間がよりクリエイティブなものになったりもすることも多々あります。まあ、そのまま崩れ去っていく可能性ももちろんありますが。


■構造とプロセス

―― 大別すると中崎さんには、個人で作りあげる作品と人を巻き込んで作りあげる作品という二つのチャンネルがありますよね。個人的な作品の場合も、最終的には作品の表面的な見え方よりは、その裏にある構造やプロセスのようなものを見せたいと考えていますか?

中崎 そうですね。作品の構造や設計図はすごく大事にしています。ただ、人と関わることの多い現場では、事前や過程でのコミュニケーションを通してわりと内容がしっかり言語化されたりするので、自然と構造が強くなっていったりします。一方で、個人的な作品の場合はもう少し手前で直感的に「あ、いける」と思ったら実際にいっちゃう。比較すると少し未整理なんだけど、そのぶん余白があってそっちの方が面白い時もあったりして、今は両方に興味があって行ったり来たりしてる感じです。

―― 空間がどう見えるかということより、その展示を支えているコンセプトみたいなことをむしろ見せたい?

中崎 そこがちょっと難しいというか変なところなんですが、コンセプトから作ろうとするんだけど、気がつくと細部のことを考えていたり、あの素材でこういう形の何かができるかなといったアイデアがぽつぽつと出てきて、なぜそれを面白いと思うのか?というところを逆に辿っていったりすると、そこからぼんやりと大きい方向性が見えてきて、また細部に戻って……といった感じを繰り返して考えていきますね。あと、わりと笑えるかどうかを考えます。笑いって普通に大事じゃないですか(笑)。エッセイか何かで読んだのですが、笑いというのは、要は構図がズレる、もしくはハマった時に起こるものなんだっていう話が印象に残っていて、「こうだろ」と思っていたものが違う展開をした時とか、逆に「お約束」みたいにピタッと思っていた通りになった時に面白いと感じる。ここで言う構図というのは、いわゆる常識とか一般的な共通認識、あるいは社会そのものと捉えることができて、「なんかこれ面白い」というちょっとしたアイデアをストックしておいて実際にそれを再確認していくと、背景では何かと何かがズレて歪みが出来ていたり、逆にピシャリと噛み合っていたりするから、大抵作品になりうる。そういうコソコソっとしたものを紡ぎ合わせていって作品化していく感じが僕の場合は多いですね。

―― いわゆるビジュアル・アートが全盛の今の美術の状況にあって、中崎さんが重要としているのは、構造であったり、そこに行き着くまでプロセスだったりするわけですね。

中崎 そうかもしれませんね。だけどそうした表現が少し珍しく感じるのは、今の日本の美術状況においてということですよね。自分が興味を持っていることや手法というのは、広い視野で見れば特に変わったことはしていないんじゃないかなと思っています。

―― 確かにいわゆる美術愛好家にとってみればスタンダードな手法と言えると思いますが、日本ではあまり流行らないというか、それだと食っていけない、みたいな……(笑)。

中崎 リスクがあってもあえてそれを選んでいるのは、命懸けでやってもそれだけの価値があるはずって確信しているからでしょうね。ただ、ビジュアルは無視してないですよ、全然。僕もビジュアルアーティストのつもりでいるし(笑)。


■綱渡り感を楽しむ

―― 中崎さんのこれまでの活動を見ていると、作品の表面に見えてくるものは全てフィクションであってもかまわないというスタンスがあるように感じます。リアリティよりもむしろ非常に質の高いフィクションを目指しているような感じがするのですが、その辺はどう考えていますか?

中崎 胡散臭さは大事にしています。なんか胡散臭かったりすると疑いながら注意深く観るじゃないですか。よく目を凝らすと実は奥行きがあってずるずると引きずり込むような手法がうまくできないかなとよく考えます。Nadegata Instant Partyでの「Parallel School」というプロジェクトなんかには特に言えることかもしれませんが、表面的には全部嘘ですよということにしているんだけど、それが現実に起こってしまったり、虚と実の接点があるところが面白いなと思っています。例えばドキュメンタリー/フィクションということで言えば、僕の場合はハリウッドのような質の高いフィクションを志向するわけでもなく、「これはドキュメントです」と自分で言っているから胡散臭い(笑)。逆に、フィクションなんだけど見ていると素のように思える部分もあったり。先ほどの話に近いかもしれませんが、僕はどこかに片足を突っ込みながら、そうではないように振る舞うことに興味があるのかもしれません。美術って極端な言い方をあえてすれば全部嘘じゃないですか。キャンバスに絵の具を塗っているだけなのに、それがリンゴに見えるとか、映像も写真もただの光と布と紙だったりとか。だけど、その全部嘘でメタファーでしかないものがなぜ必要なのかと言えば、それがあることによって現実がそれを凌駕する可能性を持つ触媒となりうるからじゃないかなと。そういうものがあることで、時代の中で絶対混ざり合わないはずのメタファーと現実が交差する瞬間が生まれたりする。だから芸術ってすごく面白いんだと思います。「Parallel School」なんかでは、その瞬そのものをテーマにしてたりもしていました。

―― くだらないことから始まったものが、いつの間にか現実を超えてしまう。

中崎 そう。僕の場合は「掴み」はどうでもいいもの、その後の流れもぐだぐだ、アウトプットも緩い、みたいな感じなんだけど、それを作品として成立させるための引き出しは実はいっぱい持っていると思っています。胡散臭いネーミングのフィットのさせ方とか、それを実行する際の広報の仕掛け方とか、そこで作り出す状況と実際の場所が効率的な関係を結ぶための裏の取り方とか、それで現場自体を回すこととか、そういうものを全部ひっくるめて、一つの物語として落とし込む「術」みたいなものが最近は徐々に身に付いてきている実感があって、ほとんど見えない部分ではあるんですがとても大事にしています。

―― 中崎さんが目指しているのは、一つ一つの要素はくだらないものに見えても、それらが出来上がっている構造やプロセスを含めて全体として見た時に、観る人の心を強く揺さぶるような作品なんですね。

中崎 そうですね。くだらないものから始まって、むしろそれでしか作れないバランスでトータルな何かを作っていく、みたいな。最初からそれを意図していたわけではなかったのですが、ぎりぎりでやっていくうちに個人的な黄金比みたいなものが少しずつ出来始めて、今は失敗したりうまくいったりしながらそれを試している状況がすごく面白くてやってます。

―― 一方で、その黄金比=バランスを少しでも間違えれば、最終的に本当に単なるくだらないものの寄せ集めにしか見えない、といった感想を持たれてしまう可能性もありますよね。

中崎 その綱渡り感が面白いんです。だから、「どうする!? これ崩れたら多分ヤバいぞ」みたいな状態を維持したい。なんかドキドキしませんか? そういう時にはまさに、何かがウィーンって頭の中で回る瞬間があって、「生きてんぞー!!」って感じられるんですよね(笑)。

(2009年2月16日、Art Center Ongoingにて収録)


中崎透 Toru Nakazaki

略歴 
1976年 茨城県生まれ
2002年 第17回ホルベインスカラシップ奨学生
2005年 武蔵野美術大学スタジオ内にオルタナティブスペース中崎透遊戯室を設立(-2007)
2007年 武蔵野美術大学大学院造形研究科博士後期課程満期単位取得退学
2007年 茨城県水戸市にオルタナティブスペース遊戯室(中崎透+遠藤水城)を設立

主な個展 
2008年 "公開秘密なかざき"/ platfome02(大分)
2007年 "看板屋なかざき"/ 新宿眼科画廊(東京)
2005年 "Save the Earth"/ gallery SATORU(東京)
2005年 "いいたいこと いえないこと いえなかったこと いいたかったこと"/ 中崎透遊戯室(東京)
2003年 "signmaker NAKAZAKI"/ PKW(シンガポール)

主なグループ展
2008年 "広島アートプロジェクト2008 汽水域"/ キリン木材ビル(広島)
2007年 "PLAYROOM OPENING EXHIBITION"/ 遊戯室(茨城)
2005年 "αm PROJECT Favore-どうぞ 中崎透×鈴木淳"/ ASK?art space kimura(東京)
2004年 "第7回岡本太郎記念現代芸術大賞展"/ 川崎市岡本太郎美術館(神奈川)
2003年 "群馬青年ビエンナーレ 03"/ 群馬県立近代美術館(群馬)

その他の主なプロジェクト
2007年 "カニ革命 PROJECT"/ 一ノ坂川上流(山口)
2005年 "ナレパンダ PROJECT"/ 横浜トリエンナーレ会場内(神奈川)
2006年 "Nomad Theater vol.1" / UPLINK(東京)
2004年 "居酒屋中人(なかんちゅ) PROJECT"/ 武蔵野美術大学(東京)

「Nadegata Instant Party/ナデガタインスタントパーティー」(中崎透+山城大督+野田智子)での活動
2008年 "Offline Instant Dance(赤坂アートフラワー参加)"/ 旧赤坂小学校(東京)
2008年 "パラレルスクール"/ アーカススタジオ(茨城)
2007年 "ブギウギインストールデート(旧中工場アートプロジェクト参加)"/ 吉島公民館(広島)
2007年 "インストールパーティー"/ とたんギャラリー(東京)