2009.02.04 [水] - 2009.02.15 [日]
12:00-21:00 定休:月、火
 実家に久しぶりに帰る機会があると、何気なく古いアルバムを手に取ることがある。そこには、ずっと昔に家族で旅行をした際の写真がいくつも並んでいて、暇をつぶすのにはもってこいのアイテムだったりする。アルバムを見る限り、昔はよく家族で旅行に行っていたのだと思われるが、私にとってはそれらの写真が撮られた時の記憶が定かではないため、過去を懐かしむというよりも、こんなことがあったのかという好奇の目で写真を眺めることが多い気がする。写真に定着した過去の時間をいろいろと想像して楽しむわけである。

 下平さんは、作品のモチーフとなる写真をインターネットで探すことが多いのだという。画像検索によってずらりと並んだ写真が彼の作品の出発点となるのである。ほとんどの作品には人物が描かれていて、彼らがこちらに向ける親しげな表情から察するに、家族や恋人といった近しい間柄の人を撮影した写真がモチーフとなっていることが多いのだろうと思う。そのせいだろうか、下平さんの今回の絵画シリーズを初めて見せてもらった際、実家で家族のアルバムを開く時の感覚と近いものを感じたのだった。

 ではなぜ私は、画像検索によってランダムに並んだ見ず知らずの人間たちの写真が出発点となっている絵に対して、家族のアルバムを開いた時と同じような感覚を持ったのだろうか。その答えもやはり画面の中にあって、下平さんが描きだす人物の顔は誰とは特定できず、別の言い方をすれば、誰にでも成りうるようにぼやけているのである。また、画面を構成するあの特徴的な淡い中間色も、原色のような壁を作ることなく、作品の中に入り込んで自由に遊ぶことを見るものに促すのだ。はたして、彼の絵の中のこうした諸要素が、知らないのに知っているかのような感覚を引き起こし、そこに描かれた世界への想像力を掻き立てるのであった

 自分も家庭を持つようになり、最近、家族写真というものをたくさん撮るようになっていることに気づく。いつの日か、自分の子供がそんなどこの家庭にでもある写真を見ながら、自分の記憶にはない過去の時間を想像して楽しむ日が来るのだろうか。下平さんの作品を前にし、ひとしきり画面の中に広がっている世界を想像して楽しんだ後、ふとそんなことを思った。想像と現実が混じって、感情が淡い色に染まった。

Art Center Ongoing
代表 小川希

アーティストホームページ→http://akinori-shimodaira.com/


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2月7日(土) 19:00~
オープニング パーティー


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2月14日(土) 19:00~
スペシャルイベントpart1
彫刻家・保井智貴氏とのトークショー
入場料:1000円(ワンドリンク付き、先着30名様)


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2月15日(日)14:00~
スペシャルイベント part2
小説家・いしいしんじ氏のライブイベント
入場料:1000円(ワンドリンク付き、先着30名様)

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アーティスト・インタビュー
ここではないどこかへ
下平晃道
聞き手=小川希


■あっち側の世界

―― 僕は今回の『覚えたての空間』展で発表するという新作シリーズを観て、以前までの下平さんの作風とはガラッと雰囲気が変わったような印象を受けたのですが、この変遷には何かきっかけがあったのですか?

下平 よく考えるときっかけは画材と画面サイズの変化にあったんですが、それでも描く対象は特に意図的に何かを変えようと思ったわけではなく、これまでやってきたように本当にきれいなものをきれいなまま見せてみようとして描いていました。これまでの作品には観る人の側に寄せて描こうという意図が強かったんだけど、そうして描いているうちに、なんだか物足りなくなってきてしまった。それで2年くらい前から、もう少し自分寄りに絵を描きたいと考えるようになりました。そこから模索が始まって、そういう状況からちゃんとした方向性が固まってきたのは、つい最近のことなんです。同時に、自分にとって絵とは何かを考え、いろいろなタッチを試したり工夫したりしているうちに、絵のモチーフがだんだん人間になってきた。僕はインターネットで画像を検索してモチーフを選ぶというやり方をすることが多いんですが、例えば、鹿だったら「鹿」と入力して、バーッと出てきた画像の中から好きな画像やフォルムを抜き出して描く。そういうふうに自分が探して選び出すモチーフに、いつからか肖像画や家族写真とかが多くなってきて、人種を問わず、だんだん人の顔に焦点が合ってきたような感じがありました。それはおそらく、そういう人々の姿に物語性を感じて興味を抱いているからなのだろうと思うんですけど。

―― そういう手法によって写真がモチーフ選びに用いられているにもかかわらず、完成した作品には、写実的というよりは現実とは別次元の世界が描かれているような感じがします。そこには何か特別な、絵の中だけに存在する世界観のようなものがあるのですか?

下平 自分の中には多分もとから「それ」があるんだろうけど、描いているうちに「それ」がどんどん明瞭になってきて、長いこと続けて描いていく過程で、「それ」がひとつの世界となって出来上がってくるような感じがしています。今回の展示タイトル『覚えたての空間』というのは、まさに今自分が体験していることです。その世界への行き方を覚え始めて入りこむことができるようになってきて、その空間と今自分がいる現実の世界を行ったり来たりしているように感じています。

―― なんだかSFみたいですね。

実はこういうこと言うのは恥ずかしかったんですよ。なんか嫌じゃないですか、「不思議くん」みたいで(笑)。以前は作品の発表の仕方にも照れがあって、自分が今話したようなことを思い切って発信することに対してすごい抵抗がありました。その照れがイラストレーターとしては丁度良かった。適度な客観性になっていて、過度な自己主張をおさえる役割があったんです。でも僕、多分、相当ヘンなんですよ、頭の中が(笑)。だけど、それを本当に言っちゃっていいものか、無意識のうちにけっこう悩んでたと思うんです。でも言い始めたら止まらない(笑)。「こっち側に別次元がありまして、そことここを僕は行ったり来たりしてるんですよ」みたいなことを言っているわけだから、引かれちゃわないかなと思ったりして。そういう人って本当にイタイなって思ってたんだけど、実際自分がそうだしな……みたいな。だから、自分でも整理してちゃんと人に説明できるようにしようと、ノートに書いたりして説明できるように努力はしているんだけど、書いてることが、全然ダメ。「あっち側の世界」とか言っちゃってるわけですから(笑)。でも「あっち側の世界」以外に、今のところ言いようがないんですよね。


■物語と現実を混ぜる/p>

―― 今こうして生きている現実世界にリアリティを感じられないということではないんですよね?

下平 はい、そういうのではないですね。むしろ、すごくつながっている感じがする。そんなに遠くない場所にあって、そこと交信できるっていうか。うまく説明できるかどうかわからないけど、ひとつエピソードをあげます。小説家のいしいしんじさんが、「その場小説」という、その場で小説を書きながら、マイクを使って自分でその文章を読み上げていくという、すごく面白いライブパフォーマンスをやっています。この間は、横浜の野外のドームみたいなところで公演をしていて、お客さんの前でビュービュー風に吹かれながら小説を書いていました。いしいさんがその場で考えながら書いているわけだから、物語の中に、その時のシチュエーションとか、いしいさんがその日感じたことや出会ったことがたくさん出てきて、実際の話なんだけど架空の物語、みたいな感じで、その中には両者が同時に存在していたんです。で、その話の中に、女の人が箱を覗くシーンがありました。彼女がそれを覗いてみたら中は箱庭になっていて、ひとつのドームがそこにあった。よく見てみると、それは今、自分たちがいる横浜の野外ドームと同じ形をしていた。もっとよく見ると、その中では、今まさにいしいさんが講演をしているところが見えた、みたいな場面です。その瞬間、僕は今の自分の位置を真上から俯瞰の位置で見ているような感覚になったんです。「うわスゴイ!」と思って、同時に、ああ、こういうことなんだな、と思ったんですね。物語と現実を混ぜちゃうとどこにでも行けるんだ、って。それで、自分はそういうことがやりたいんだなということを最近ハッキリ自覚してきた。絵を使って、もう少し違う場所との交信をしたいんだと。僕は、絵を描くこと自体が、魂を別の場所に行かせるための道具や入口になれたらいいなと思っているんです。

―― 自分自身だけでなく、観る人にとってもそうあって欲しいですか?

下平 そうですね。感覚を持って行っちゃう、みたいなことができればいいと思っています。それに僕は、自分自身を指すような個人的なことなんて特にないと思っているんですよ。まあ、かなり極端な言い方ですけど、人はそれぞれ個性があると言われているけれども、本当はそうじゃないんじゃないか。実は他の誰にでもなれるというか、中身なんて空っぽで、そこにいろいろなものが出たり入ったりしてるようなイメージがあるんです。

―― それは見ず知らずの人の記念写真なんかを絵のモチーフにしていることにも関係していますか?

下平 それはあるかもしれない。でも特定の人にこだわってないというか、描かれている人は誰でもいいと思ってます。

―― 美術作品は極めて個人的なことが出発点になることが多いと思うのですが、下平さん自身の作品は、物語や童話のような、誰でもがその世界観に入り込んで楽しめてしまうようなものとして捉えているのでしょうか?

下平 誰でも楽しめるかどうかはわからないけど、ただ、物語とか童話とか、そういうものの影響下にはすごくあると思います。そこに自分が入りこんだりする遊びがすごく好きだったから。今でもそういうことが好きで、やりたいんだと思いますね。


■ただ背負わされているだけ

―― モチーフのせいなのかもしれませんが、下平さんの絵画からは、悲しみのような感情を強く感じます。ご自身が意図するところではないかもしれませんが、肖像写真という存在自体が、そういった性質をどこかに孕んでいる気がします。そこに定着しているものが、今はもう存在しない、過ぎ去ってしまった記憶のような。ご自身では、そういうことは感じませんか?

下平 それはかなり意識してます。ただ、僕はむしろそこに魅力を感じているんだろうと思う。僕は日本の言葉を使って物事を考えます。それは今まで日本語が長い時間をかけて作ってきた意識とか、単語一つ一つが意味する事柄の範囲を基盤にして思考をしている。だからいくら自分がイメージしたことだと思っていても、使っている言葉自体が借り物だったという……。つまり、自分で選んできているような気がしても実はそうじゃないというか、もうそういった過去とか文化から逃れられない場所にいるんだと思っている。だから悲しみというよりは、ずっと昔から繋がってきて「背負わされちゃってる」というような感じに近いのかな。それが空っぽな自分の中にたくさん詰め込まれて、絵としてスポーンと出てくるような。だから、描くというより、描かされてるんじゃないかという気がしちゃったりもするわけですよ。そういう逃れられない感じや背負わされてる感じというのは、家族写真と似ている部分かもしれない。だから人の顔や肖像写真をモチーフとして選んでいるのかもしれないな。

―― 人間存在の悲しさみたいな。

下平 そうそう。

―― そういうことってありますよね。幸せそうな家族なんだけど、なんか悲しいなっていう。

下平 僕はそういう「なんか悲しいな」っていう雰囲気を読み取って、そっちに進んで行ってしまうみたい。これまで通り夢のようなハッピーな世界を描くのかと思いきや、そうじゃなかったというね。

―― 「あっちの世界」に楽しく誘うような感じで描かれていて、悲しみの感情などは意識していないのではないかと思っていたのですが、人間存在のどうしようもなさみたいなところを感じて描かれているんですね。むしろそれこそがテーマ=主題になっているというか。

下平 そうなのかもしれませんね。「生きてるってなんでしょうか?」ということは、よく考えています。でも、別にそこに絶望はないんです。むしろ「まぁ、そんなもんですよ」みたいな、わりと気楽な感じ。作品が死の方向に向かっちゃう人っているでしょ? でも、僕は全然そういう方向には行きたくない。「別になんでもない、淡々とこんな感じで受け取ってます」っていうスタンスでいたいですね。

(2009年1月13日、Art Center Ongoingにて収録)



下平晃道 Akinori Shimodaira
作家ホームページ : http://akinori-shimodaira.com/

略歴 
1974年 "東京都生まれ
1998年 東京造形大学 美術II類(彫刻科専攻)卒業
現在  東京にて制作活動を行う

個展 
2007年 "HALF AS SLEEP"/ TOLAN Gallery(東京)
2005年 "反射する色=黒"/ UPLINK Gallery(東京)
2002年 "最大の魚"/ 都営新宿線市ヶ谷駅構内(東京)
2002年 "砂漠"/ 飯田橋アンダーバーギャラリー(東京)
2000年 "待合室"/ 関内アカデミーギャラリー(横浜)
1999年 "温室"/ 田町スタジオNOPE(東京)

主なグループ展
2008年 "Sticky, Messy, and Sweet"/ hpgrp Gallery New York、 New York
2006年 "Smile/Cry * Now/Later" / Nakaochiai Gallery(東京)
"パラダイスのドローイング" / 横浜ベイクォーター・ギャラリーBOX(横浜)
2000年 "みえない展覧会2000" / パルテノン多摩(東京)
1999年 "みえない展覧会" / 三鷹市芸術文化センター(東京)

出版
2006年 "まばたき -BLINK-" 出版/ Magazine Five